見た目は普通のおまんじゅう。トースターやフライパンで軽く温めるとより美味しくなるとか。確かに温めると、皮の食感もよりもっちりとなってウマウマ。
ふたつに割ってみると、中はきれいな空洞。なーんもなし。
「中身なんにも入ってへんやんけ」というクレーム避けのためか、“中が空洞のカラクリ焼菓子です”との注意書きあり。カラクリという言葉、今どきあんまり使わないよねという予想通り、もとは江戸中期に中国の禅僧により伝えられた由緒あるお菓子だった。
餡を入れて焼いてるけれど、焼き上がったら空洞に仕上がるとか聞いたこともある。真偽は知らね。もしそれが本当なら、発明した人も販売に踏み切った人もスゴイ。
他店との差別化を図るために、クリーム抜きのシュークリームや、餡子抜きの大福餅にGOサインを出せるかというと、なかなか出せない。
そのまま食べても美味しいけど、思いついてバターを入れてみたらとっても美味。おススメ☆ あんこにバターやホイップをミックスしたような和洋折衷なお菓子、妙に美味しくて好きさ。
というライトな文章は、ラインブログで書けとのことなのか。
はてなブログは「しっかり書きたい人のためのブログサービスです」と、ちゃんとただし書きあるしな。。いつの間にか。しっかり書いたら、長文書くなと石投げられそうな雰囲気も、私情ダダ漏れの文章書いたら斧持った人に襲われそうな雰囲気もかつてはあったのにね。長居してると、環境の変化がよくわかる。
しっかり書きたいことも多々あるから、時には2千字とか3千字とか書いてる。別に誰に頼まれたわけでもないけど、しっかりがっつり書きたいこともたまにはある。
中が空洞のお饅頭が、江戸の昔から現代に伝わってること。「なんだこりゃ」で廃れてしまってもおかしくなかったものが、現代までしぶとく生き残ってることに深―い感動を覚えたのさ、わたしゃ。
ついでに、伝わってるからといって特にありがたく押し頂くように頂戴するものではなく、バター入れちゃえ☆ で、好きにアレンジできるところもいい。えもいわれぬ感動さえ覚えるね。☆は、こういうのが嫌いな人へのサービスさ。
えもいわれぬだって、きれいな景色を見た時以外にも使ったところでどうってことない。だって単なる個人ブログだよ、これ。
日々客観的に見れば相当しょーもないことに一喜一憂して、ビビッドに感動してるのも、暇だから。感受性をすり潰すほど何かに没頭してるわけではないから、他人から見たらしょーもないことでも愉快になれる。この、しょーもないことでも愉快になれてご機嫌に過ごせるためだったら、多少の犠牲は厭わない主義。ってか金銭面では確実に損してる。でも、いいのさ。
個人ブログだから、書きたかった。何者でもない者でも、思考の軌跡を残せるところが気に入ってる。個人ブログ以外では、あんまり書く気もしない。褒められながら書くのは、そりゃ気持ちがよかろうとは思うけどさ。
思うさま、オリジナルな文章が書けるから個人ブログが好き。思うさまやオリジナルは、要は無手勝流だから、一銭にもならないのは百も承知。むしろ、お金に換わる方がびっくりする。
どこにでもルールはあって、ルールから外れたものには値がつかないのは市場のルール。網の目のように張り巡らされた厳しいルールやレギュレーションから外れることなく、それでも自由闊達に動き回ってるように見える文章にこそ、いっちゃん高値がつくのも納得してる。
自分ではテケトーな文章を書いてるけれど、読むのはむしろ隙の無い文章の方が好き。細部にいたるまで隙のない言葉使い、無駄のない構成で、美しいとしか形容しようのない文章を、かつて見掛けたことがあった。内容はもううろ覚えだけど、ただその隙のない美しさだけはよく覚えてる。
そういう文章こそブックマークすべきだったんだけど、何となくしそびれて、今に至るまで後悔してる。
無料ブログで読めるような文章じゃないから、今頃その文章を書いた人は、きっと別の次元で活躍されてるはず。どこにも癖や個性は感じられないんだけど、癖や個性がないことこそ個性になっていた。美しいとか端正とか、文章にも個性があるけれど、個性は長文にこそ発揮されるから、個性的な文章に出会いたかったらほんとは長文読むべきなのよね。
でもそこで好みの文章に出会うには、日本語にこだわりがあり過ぎるから困ったもの。
内容は二の次で、ただその瞬間の文字による芸が際立つのは、やっぱりブログ。適度に混ざった話し言葉が、よりライブっぽい。ブログに芸を求めてもしょうがないんだけど、はてな育ちだからしょうがない。
どこで書いても一緒なら、慣れたシステムのところで書くのが一番。美文に出逢いたかったら、オープン直後に限る。Proにしてるのは、広告を表示させたくないから。あぁ今日も無駄なことを書いて満足。
お休みなさーい。