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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

マグノリアの花たちのブラックアメリカンバージョン『スティール・マグノリア』見た

映画 レビュー

マグノリアの花たち』という1989年公開の古―い映画がありまして。1989年だから、昭和64年にして平成元年。あぁ昭和が遠い。。

 『プリティ・ウーマン』でブレイクする前のジュリア・ロバーツが出てる。ジュリア・ロバーツという大スターを生んだ、彼女にとってもハリウッドにとっても、エポックメイキングな作品が、『マグノリアの花たち』だと勝手に思ってる。

 

単にエポックメイキングと使ってみたかっただけさ。オリジナルは共演者も豪華。

 

サリー・フィールドフォレスト・ガンプ)、ドリー・パートン(有名な歌手だってさ)、シャーリー・マクレーン愛と追憶の日々)、ダリル・ハンナ(スプラッシュ)、オリンピア・デュカキス(月の輝く夜に)と、そのうち午前10時の映画祭で上映するような、超有名作に主演したビッグネームの女優がズラリ。

 

その『マグノリアの花たち』を、クィーン・ラティファ主演ですべてのキャストを黒人に置き換えた『スティール・マグノリア』は、2012年にリメイクされたテレビ映画。

 アメリカ南部を舞台に、年代の異なる女性たちの強い絆を描いた感動作で、オリジナルに忠実にリメイクされている。肌の色は異なっていても、悲喜こもごもは一緒。嬉しいや悲しいに人種の壁なしということを、忠実なリメイクを通じて伝えてくる。

 

ついでに1989年から2012年と、20数年間のアメリカ社会の変化も見て取れるからいい。

 

舞台は、ルイジアナ州の架空の街チンカンピン。結婚式が行われようとしている家の主婦マリンと、その美しい娘シェルビーが物語の中心。彼女たちは、トルーヴィが切り盛りする美容院を憩いの場としていて、そこにはお金持ちだけど意地悪なウィザーや、上品な未亡人のクレリーもやってくる。

 

ウィザーとクレリーは、マリンよりもやや年上。シェルビーからすれば伯母さんポジション。そこにトルーヴィの美容院で働く、シェルビーと同じような年代のアネルも加わった6人の女性が、励まし合い支え合いながら生きる姿を描いている。

 

シェルビーには糖尿病という持病があって、そのせいもあってマリンは、過保護ともいえるほどシェルビーを大事にしてきた。二人三脚で生きてきた母娘が、愛娘を手放すところから物語は始まる。

 

結婚式、クリスマス、そしてハロウィンと、四季折々の行事が挟み込まれるのが特徴。オリジナルにはチンカンピンの街オリジナルのお祭りシーンもあって、チンカンピンがいかに美しく住民に愛される街かを伝えていたんだけど、そこはカット。いいシーンなのになぁ、残念!

 

オリジナルと比べると、女性のファッションの移り変わりや、それぞれのイベントの移り変わりもわかって面白い。いちばん変わったのは、多分音楽。音楽も、アフリカン・アメリカン好みになっている。

 

結婚式の“アルマジロのケーキ”はよりフォトジェニックになって、とってもインスタ映えする出来。ウィザーの愛犬も、黒毛になっていて芸が細かい。

 

マリンは黒人であってもプール備え付けのステキなお家を持ち、かつて白人がそうしたように、豪華な結婚披露宴パーティーを開いてる。もちろんそうなれない人も居て、トルーヴィの夫は、仕事がうまくいってない。

 

持病のあるシェルビーにとって、仕事を続けること・子供をもつことでさえハードワーク。普通の人にとっては何でもないことでも、何かあったら大変と、マリンの過保護は結婚後も続く。

 

マリンもトルーヴィもそしてアネルにシェルビーも。思い煩うことがあっても、皆の前では出さないようにしてる。できるだけ。気丈に振る舞っているのがわかっている時は、周囲も調子を合わせて陽気に騒ぎ、慰めが必要な時には、遠慮なくハグしてる。優しいんだ。

 

結婚式にクリスマスに誕生日パーティと、イベントを中心に描かれるのは、イベントは本来家族で祝うものだったから。楽しくイベントを祝えるのは、幸せな証拠で幸せな家族だったから。

 

いつもイベントに呼ばれる人も、血縁ではなくとも家族のようなもの。

 

家族に差す暗い影は、家族で跳ね返すとばかりに、苦難の時も家族で乗り越えていく。パートナー優先で子供優先で、家族のような友人優先で、それ以外の人は後回し。

 

幸せにする順番を間違えない人は、生き方も間違えない。

 

間違えないから、苦難の時にも支えてくれる人に困らない。公人だったら公私混同やお友達人事はまずいけど、市井の人だからそれでよし。ラストには大いなる悲劇が待っているんだけど、「涙はもうじゅうぶんでしょ」という慰め方が、ステキ過ぎて泣けてくる。

 

マグノリアは、春先に咲く木蓮のことかと思ってたけど、初夏に咲く泰山木(タイサンボク)のこともマグノリアと呼ぶんだってさ。芳香とともに、白く大きな花を咲かせる、たいへん頑丈そうな木。

 

スティール・マグノリアは、「鋼のように強い」はずの男たちが、悲劇に耐え切れず、逃げ出した後にも力強く咲く花のこと。

 

泣いて笑って、時にはいがみ合って。それでも、季節がめぐるたびにちゃんと花開く。

 

オリジナルに忠実に再現されているけれど、人生賛歌としては、オリジナルの方が美しく感じてしまう。オリジナルに比べると30分ほど短いので、その分カットされてるところがあるからしょうがない。オリジナルではダリル・ハンナが演じていたアネルのパートは、結構カットされていた。これも残念。

残念だけど、アネルやトルーヴィの夫など、オリジナルほど上手に回収されなかった人生は、20年経ったアメリカ社会の変化を織り込んでるのかも。かもかも。

 

オリジナルのイースターエッグハンティングのシーンが好きだったんだけど、そこもカット。そもそもイースターエッグハンティングそのものが、今やアメリカでもすたれ気味なのかと、見比べることで深掘りしたくなる要素が次々出てきたよ。。

 

オリジナルでマリンを演じていたサリー・フィールドは、後に『フォレスト・ガンプ』でガンプの母親を演じてる。『フォレスト・ガンプ』は、フォレストという男性に託して振り返った、アメリカの近現代史の側面もある作品。

 そのうちクィーン・ラティファをやっぱり母親役にして、アフリカン・アメリカンバージョンの『フォレスト・ガンプ』が作られたりして。その際には劇場公開でもテレビ映画でもなく、VODやSVODになるんだろうなと、これも勝手に予測してる。

 

当たりそうにもないことイロイロ考えるの、楽しいっすよ。

 

お休みなさーい。