クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

コメディエンヌとしても貫禄じゅうぶんなクィーン・ラティファ

日米で、その知名度に大きな差がある女優の筆頭、クィーン・ラティファ。勝手にそう思ってる。もともとは歌手なんだけど、コメディエンヌとしても才能あり。

 

180㎝近い長身で、横幅もたっぷり。よーく見ると美人で整った顔立ちなんだけど、よく見ないとその美貌にも気づけない。でも好きさ。ビッグ・マミーな雰囲気濃厚で、包容力たっぷりなところが魅力。

デパートの調理器具売り場で働く、ごく平凡な女性ジョージアは、死の告知を受け悲しみのどん底に突き落とされた。しかし逆に最後の3週間を好きなことをして思いっきり生きてやろうと決意。

会社を辞め、銀行から全財産を下ろし夢だったチェコのリゾート地・カルロヴィ・ヴァリへと向かうのであった。

Amazonビデオ作品紹介より引用)

 カルロヴィ・ヴァリ、日本でもスパやエステの店舗名としてお馴染み。チェコにあるとは知らなんだ。

『ラスト・ホリディ』で初めて彼女を知った。劇場未公開の2006年の作品。ジェラール・ドパルデューも出演してるコメディだけど、多分知名度はそんなに高くない。

 ヒロインも、ヒロインが思いを寄せる人も黒人。冴えない日常を送っていた黒人ヒロインが、白人エスタブリッシュメントの巣窟ともいえる高級リゾートで、セレブとして扱われるお話。ある種のシンデレラストーリーでもあって、最後はハッピーハッピーで大団円を迎える。

 

余命いくばくもないと知った女性が、我慢を辞めて、したいように振る舞う姿が、同じように我慢を強いられてる人々に笑顔をもたらしてくれる。

 

コメディなんで、白人エスタブリッシュメントの悪辣さや嫌ったらしさを、かなり誇張気味にコケにしてる。

 

舌噛んで死んじゃいたいような極悪非道な出来事も、フィクションでコメディにしたら、笑いで迎えられる。

 

我慢を強いられてる人たちの鬱憤は、そのまま直視したらシャレにならないくらい酷くて救いもないから、適度に笑いを取るしかしょうがないんだ。

 

フィクションの中でなら、着飾った美男美女の白人セレブに説教かますのも、鼻を明かすのも自由。白人セレブの御用達がステータスな人たちの頬を、札束で引っ叩いて思い通りにするのも、きっと気持ちがいい。

 

地味で平凡でついでに黒人の女性が、お金の力でゴージャスに変身する姿が見もの。ドレスアップして堂々としていれば、誰もが彼女に一目置くようになる。

 

ジュリア・ロバーツは、金持ちのパトロンの力を借りて、娼婦から淑女に変身した。『ラスト・ホリディ』では、自分で働いて貯めたお金と、親からの大事な遺産を売っぱらって、セレブに変身する。あんたたち白人女とは違うのよ!との・キ・モ・チ。どこかに潜んでるよね、きっと。

 

ストーリーは割と単純で、原型は別にありそうなお話。目新しいのは、徹頭徹尾、主役になりそうにない人を主役に据えたこと。

 

ヒロインは黒人で、思いを寄せる人も黒人。つまり、名誉白人の仲間入りをめざして白人社会に憧れるような人じゃない。もともとは、デパートに勤務する優秀な販売員だけど、職場そのものが崖っぷち。ついでに余命いくばくもなくて自分の人生も崖っぷち。

 

親からの遺産があるといっても、大した額じゃない。車もなければ庭もない、ささやかな集合住宅でひとり住まい。

 

フィクションでしか救ってくれないもの、そんな人。

 

最低限の福祉はあっても、幸せやハッピーとは遠い状態でしかきっと生きられない。だから、フィクションの中ではとびきりハッピーになる彼女が描かれる。

 

人生でいつかは実現したい、“憧れリスト”をサクサクと消化してゆく主人公。いつかは行ってみたい場所や、いつかは味わってみたいご馳走を、スクラップにしたのが、“憧れリスト”。

 

人生にやり残したこと、未練たっぷりなのがよくわかる。ついでに、暇もお金も持て余してる人じゃないから、コツコツ夢の実現に近づくしかなかったこともよくわかる。旅行でもレストランでも、いつでも好きな所に行ける人は、コツコツ切り抜きなんかしない。

 

コツコツと、“いつか”を夢見てたヒロイン。“いつか”は突然断ち切られ、それまでとはまったく違う生活に踏み出してゆく。余命がわかっていたら、我慢してもしょうがない。我慢しないヒロインの姿は、コツコツを続けざるを得ない、大勢の我慢を強いられる人への贈り物。

 

原型は別にありそうで、主役が黒人女性でなかったら目新しさにも乏しいストーリー。だけど、いつまでも延々と続きそうな我慢を強いられ続けてる誰かを、徹底的に励まそう・勇気づけようという思想に裏打ちされている。だから好き。

 

何の小説だったか、映画だったか。もう忘れちゃったけど、黒人の女性医師に向かって、あんたは黒人でしかも女性だから、ここまで来るのに相当大変だったろう。しかも、相当な地位を得てもなお、黒人の女性ということで侮られ続けるから大変だ、と白人男性に語らせてるシーンがあった。

 

出自からの脱出に成功し、それまでとは違う生活を手に入れても、どこまでも出自が邪魔をする状況を、端的に表してるからよく覚えてる。

 

『ラスト・ホリディ』は、黒人のための、黒人による、黒人の映画。どこまで行っても自分たちを受け入れないのなら、自分たちが心地よくなれる世界を目指したって不思議じゃない。

 

ヒロインには料理というささやかな武器があって、そのおかげでジェラール・ドパルデュー演じる名シェフと友人になる。結局はそれが転機にも繋がって、最後はハッピーハッピーで爽快な大団円へとつながってゆく。

 

コツコツ貯めこんでる時のヒロインは、生きる喜びに乏しくて、景気よくお金を使い果たそうとした途端、生き生きとしてくる。

 

相対的に持たざる人にとって、消費はやっぱり喜びなんだ。モノでもコト、体験でも増える方が嬉しくて、減って嬉しいのは借金くらいのものさ。

 

仮想敵はきっと、ジュリア・ロバーツジュリア・ロバーツ的なものなんじゃないかと思った、『スティール・マグノリア』もよかった。コメディエンヌに終わらない、シリクィーン・ラティファのシリアスな演技が楽しめた。

 お休みなさーい。