クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

はてなは静かに書かせてくれないところ

チーズタルトのパブロがアイスバーになって、しかもそれがすこぶる美味しいときたもんだ。おまけに製造元はまさかの赤城乳業で、ガリガリ君から華麗なるイメチェンかとダブルで驚ける。

 

アイスだけだと喉が渇くから、一緒に飲むのはキリンのハードシードル。看板に偽りなしで、思いっきりハードモード。シードルらしい甘さはゼロ。そんなつもりはなくても、淡々と日常を営んでるだけで、脱資本主義の叛徒になれるのが都市居住者さ。

 

人里離れた離島にでも住まない限り、資本主義の楔から逃れようもない。ってかおカネスキー、あるいはおカネとってもスキーなので、資本主義の懐に抱かれている方が心地いい。都市居住者でありながら資本主義を否定するのは、逆にハードルが高いっす。

 

Etsyやミンネのはるか昔から、今でいう手作り市に地味に出店を重ねて生計を立ててきた人が、昔知り合いに居た。バブルとバブルの崩壊も2回くらい経験したその人が、「普通の主婦が市場に参入してきた時が、バブルの終わりなんですわ」と言っていたのが今でも忘れられない。

 

市への出店費用だって、馬鹿にならない。玄人はだしのモノは作れても、地味に市への出店を重ね、取引先や販路を拡大し、何よりリピーターとなる固定客を掴まえるのは簡単じゃない。

 

簡単じゃないことも見抜けずに、「あら私にもできそう」な主婦が大挙して雪崩れ込んできた時が、ある種の見切り時なんだと言っていた。「これ全部お任せしますわ」的な美味しい商売が、ひとつ減りふたつ減り。我慢の時代に入るものなんだってさ。

 

私自身に商売っ気がまったくないのは、商売で苦労する人を間近に見てきたから。安易に手を出すものではないという戒めの気持ちが、とてつもなく強い。今現在どれほど景気がよくても、商材によっては10年20年先はまったく闇。恐らく10年も20年も持たずに暗転する人がほとんど。

 

確実な需要があっても地獄を見た、地獄を見ても「人生イロイロですわ」と穏やかに微笑んで老境を迎えてる人もいるから、何がどうなるか本当にわからない。

 

リターンが大きいものはリスクも大きく、リターンに目がくらんでるうちは、リスクの大きさにも気づけない。

 

人手不足の今、もっとも高値がつくのは「労働力」。コンプライアンスや人権意識も高まって、無茶な奴隷労働も滅多にはさせられない。体壊してまで無理に働く必要はないやねという、労働側の防衛力も高まって、文句も言わずに働く人を見つけるのは至難の業。でもさ、「訳あり」な人なら働く場所を選んでもいられない。

 

滅多やたらと起業を勧めてくる人は、胡散臭さ満点。ほぼ失敗するだろうと思われる事業にだって、喜んでお金を出す人はいる。胡散臭っ。借金返済のために働いてもらえばいいだけだから、そりゃ財布の紐だって軽くなる。

 

有用性や必然性がさして感じられないのに残り続けてるのは、そんな仕事。それでも馬車馬のように働いてれば、いつかは借金も返せるから邪悪なだけでもないんだけどさ。

 

無くなっても一向に困らない仕事のために、無理繰り仕事に駆り立てられる人が哀れやね。ドナドナ。

 

奴隷をもっとも欲するのは奴隷で、雇い主よりも、奴隷にならない脳天気に憎悪を向けてくるから滑稽なんだ。

 

プロフィール通り、暇な人が自分のために書いてるブログだから、誰かのために書くつもりは毛頭ない。暇だからといって、無くてもいいとしか思えない仕事にやり甲斐もヤル気もみせるほど、殊勝でもない。嘘つきの嘘を本当にするために提供する、労働力の持ち合わせもない。

 

Leave me aloneが通じないのがはてな。書くことが好きな人から、離れていくような気がしてならない。残るのは、文字をお金に換えるのが好きな人か。同類と思われたくないから、離れていくんだよ。

 

お休みなさーい。