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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

子や孫可愛さに、悪事を見逃すことなかれ。『グラン・トリノ』見た

ウエスト・ミーツ・イース

西洋と東洋の考え方の違いとして、年少者、特に子供に対する態度にこそ、根本的な文化の違いが顕著に現れるんだってさ。

 

心理学の偉い感じ(ホントに偉いかどうかは知らん)な西洋人の学者さんが、そう言ってた。西洋では小さな子供は足手まといになりがちなので、「お前なんかどこかへ行ってしまえ」と考えがちだとか。ヘンゼルとグレーテルだね。

 

それに対して東洋では、年少者に対して庇護する感覚が強く、特に小さな子供に対しては“守ってあげよう“とする傾向が強いのだとか。日本の場合は”七つまでは神のうち”で、授かったものとの考え方がベースにあるせいか。

 

フォードの工場で長年働き、トヨタのディーラーに勤める息子家族とは仲が悪く、だいたい何でもDIYで何とかする。クリント・イーストウッド演じる典型的な“アメリカの父”が、じょじょに東洋的父性愛に目覚めていく『グラン・トリノ』を、Amazonビデオで見た。

グラン・トリノ (字幕版)
 

 

朝鮮戦争の退役軍人で、自動車工として勤め上げたウォルト・コワルスキーには、引退後の日常も近所の変わり様も、すべてが面白くない。なかでも気に食わないのが、東南アジアからの移民であるモン族の隣人たちだ。しかしある事件が起こり、ウォルトは図らずも暴力と脅しを生業とする地元のギャングから彼らを守ることになる。

Amazonビデオ紹介文より引用)

年寄り の方が、いがみ合う

クリント・イーストウッド監督・主演作品のなかでは、いちばん好きな作品。

 

始めて見た時は、老境に差し掛かった偏屈な男性が、余命いくばくもない身ゆえに好き勝手する、痛快なストーリーに魅了された。

 

ついでに、荒廃する街に大挙して移り住んでくる異民族との衝突など、言うほど簡単ではない多文化共生の現実も、きっちり織り込んでるからますますいい。

 

アメリカでも、アメリカ人には見捨てられつつある荒廃した街に住むウォルト。手入れの甲斐あってウォルトの家はキレイだけど、周囲には廃屋と見間違えそうな家が立ち並んでる。でも人が住んでるんだな、おもに移民だけど。

 

隣家の移民一家とも没交渉で、隣に住んでるとはいえ名前も知らない。「嫌いは両想い」で、お隣のおばあさんと、言葉は通じなくとも罵りあっている。おかしい。

 

今では移民がマジョリティとなった住区だから、移民のおばあさんとしては「あのアメリカ人はいつになったら出ていくんだ?」なキ・モ・チ。移民とはいえマジョリティとなったとたん、排他的になる意識低い系あるいは保守的な人の考え方が、よーく表れてる。

 

ウォルトはそもそも偏屈な人だから、自分の息子や孫など、血縁であっても気に食わない相手には等しく不愛想。だから礼儀をわきまえた少年にもかかわらず、最初は隣家に住むモン族の少年タオにも冷たい。

 

不敬で無礼な自分の孫たちもキライだけど、礼儀をわきまえた移民の少年もキライ。ウォルト視点では、住環境を悪化させてる諸悪の根源だから。          

 

一方モン族視点に立てば、ベトナム戦争でアメリカに協力したばっかりに祖国を追われるはめになった経緯がある。だから、教会のとりなしとはいえアメリカに住処を求めるのは、当然の補償という考え方もある。

 

互いにそっちが譲れ、あるいは折れろと主に年寄り層がいがみ合っていて、“みんな仲良く“とはほど遠い環境で、事件が起こる。

 

限定条件付き父性愛

タオがギャングに絡まれているところを、ウォルトが助けてやる。助けたという意識は希薄ながら。ウォルト、移民もキライだけど、それ以上にギャングもキライなんだな。アメリカ人でも移民でも、ギャングはキライなのがウォルトという人。そこに共感する人は、人種を問わずに多いから、どこの国にも通じる普遍性あり。

 

歳とった人にありがちだけど、キライなものが増えていって、好ましいものが極小になっていく様子が顕著。

 

その中で、タオという少年にはじょじょに好意を抱き、本物の祖父よろしくあれこれ世話を焼くようになる。躾けの悪い子供もキライなら、移民もキライなウォルトだけど、タオは聞き分けがいいから好意を抱く。タオの姉のスーが、可愛い娘なところも見逃せないポイントだけど。

 

ウォルトに限らず多かれ少なかれ、人は誰でも戦力になる・役に立つ子供が好き。そして、役にも立たず、ギャングになるしかないような、クズがキライ。

 

荒廃するウォルトの住区では、アメリカ人と移民双方のギャンググループが存在し、どちらも住民からは鼻つまみ者で嫌われ者。特にタオと同じモン族のギャンググループは、執拗にタオをギャングに引き入れようとする。

 

クズはクズの自覚があるから、クズの仲間をなんとか増やそうとする。時には不法な手段を使ってでも。狙った相手の命を奪うまで、執拗な暴力を加える痛ましいニュースは、日本でもお馴染みのもの。

 

可愛げのない息子や孫といった同胞に対しては発揮されない愛が、異邦のタオやスーに対しては発揮される。この映画の、いちばん感動的なところ。条件付きで発揮される父性愛であっても、そのパワーは破壊的。各人に備わって当然とされる普遍的な父性愛で、ウォルトのような行為ができるかというと、そこは疑問。

 

備わっていて当然とされる普遍的な考えは、刷り込みにしか過ぎないから。可愛いあるいは好ましいという実感が伴っていなければ、破壊的なパワーも発揮しようがない。

 

“みんな仲良く”や“年少者には優しく”といった良識を否定しながら、誰よりも良心的かつ良識的にふるまう超人の姿を描いてる。誰にでもできることじゃないから、感動的。

 

日本のニュース番組を見ていると、ちびっ子のベストショットがやたらめったら露出される。ちびっ子でも金メダルの価値はわかるんだな。。としみじみした、パパが銀メダルで泣きじゃくる女の子が、本日のハイライト。可愛かった。

 

愛嬌があって可愛げのある年少者は、だいたい好ましいさ。好意の偏在を、あからさまにするのはどうかな、と自制してるだけで。

 

ギャングに尻尾振る年寄りには、誰だってなりたくないよ。

 

お休みなさーい。