クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『拡張するテレビ―広告と動画とコンテンツビジネスの未来―』読んだ

“拡張するテレビ“ってどういうこと???と、タイトルに惹かれて読んでみた。今のところ、Kindle Unlimited対象商品。

 著者は、Webマガジン『テレビとネットの横断業界誌MediaBorder』を発行する、コピーライター出身のメディアコンサルタントな人。コンテンツを作って提供する、メディアの中の人から見たギョーカイの変化について書かれていた。

 

PCもスマホも“テレビ”だ!ネット配信も“番組“だ!動画コンテンツも”CM”だ! (『拡張するテレビ』より引用)

 HuluやNetflixなどのSVOD(定額制の動画配信)だけでなく、AbemaTVや、さらにははてなの増田発で話題となった“保育園落ちた日本死ね”騒動まで盛り込んで、テレビと融合する近頃のネット事情を網羅している。

「映像メディアを考えるうえでの参考書」になるよう、まとめたつもり

(『拡張するテレビ』より引用)

 との著者のことばどうり、テレビ番組がネット配信にこぎつけるまでの歴史もコンパクトにまとまってる。そこで言及されている、おもにテレビ局がネット配信にこぎつけるまでに生まれたサービスのほとんどについて、まーったく知りませんでした。よほどコアな消費者(あるいは視聴者か)しか、知らないんじゃないかな。

 

テレビ>ネットの図式にあぐらをかくことなく、テレビ局側もネットに歩み寄ろうとしてきた経緯と、にもかかわらず試行錯誤の連続だったことが知れる。

 

スマホで画像コンテンツが手のひら視聴できる未来が来ることを、それなりに予見して準備してきたからこその試行錯誤。受信料という安定収入に期待できない民放だから、危機感をもって準備し、そのひとつの結果としてAbemaTVが誕生してる。

 

スマホ>テレビになると、今までの広告収入モデルが崩れること。今までの広告収入モデルが崩れると広告の作り方も変わり、業界の力関係も配信からコンテンツメーカーに移る可能性などに言及されている。

 

そのあたりは、もともとこの分野に関心が高かった人なら、既知の情報も相当含まれている。著者はAdverTimesに連載をもち、ハフィントンポストやBLOGOSにも転載されいているとか。

 

つまり、すでにネットを通じて広く浅く拡散されてきた内容を、改めて一冊の本にまとめたもので、そうしたコンテンツの多くがまずはスマホで読まれていることを考えると、この本もすでにスマホファーストの上に成り立っている。

 

テキストの場合、広く浅く接触した情報の中から、さらに深く知りたいものが本という形になって、読者と接点を持つ。画像コンテンツにも同じことが言え、TwitterやインスタグラムなどのSNSを通じて、反響が大きかったものが、まとまった映像コンテンツとしてテレビ番組になってもおかしくない。

 

拡張するテレビとは、つまりそういうこと。テレビ番組として成立してもおかしくない映像コンテンツが、テレビ以外でも視聴可能となる状態で、”テレビ”という受像機のあるなしカンケーなし。

 

縦横無尽なメディアミックスがあらゆる局面で進み、スマホとしか接点の無い人も、テレビとしか接点のない人も、最終的には同じコンテンツを消費する未来が見える。

 

スマホ(というかネット)しか見ない人は、テレビの有名人やトピックに疎く、テレビしか見ない人は、ネットの有名人やトピックに疎い。その状態が解消され、テレビの有名人やトピックはネットでも有名となり、ネットの有名人やトピックはテレビでも有名となるはず。

 

現状ではテレビの有名人にネットが席巻されそうだから、ネットの有名人が続々テレビ進出しているのも道理と思える。

 

その起点となりそうなのもAbemaTVで、マスメディアが消滅しそうな次代のメディアとして存在感を強めていくかもしれない。それぞれのクラスタごとに住み別れて、マス=大衆の姿が見えにくくなっているとはいえ、大衆を代弁するメディアは、やっぱり必要だから。

 

そして若年層に人気のサービス、ツイキャスやLINELIVEが、マネタイズよりも、ユーザー同士の心地よいコミュニケーションをまずは志向していることが印象的だった。

 

若年層は他者とのコミュニケーション、おしゃべりが娯楽だから“楽しい“を共有したユーザー同士のつながりは、勝手に深くなる。

 

意地悪く考えれば、ユーザー同士のつながりが深ければ、いかようにもマネタイズできそうだし、情報の発信源としても使い勝手がよさそうで、勝手にコミュニティが育つのを待っている状態なのかも。

 

ネットとテレビが融合した先にあるのは、コンテンツとその視聴者が、よりフレンドリーにつながる世界で、ユーザー体験により重きを置いた世界。

 

ネットで人気な人も、テレビでもネットでも人気な人も、基本ファンにはフレンドリーな印象。一見強面でも、コミュニケーションをちゃんと取ってる人が人気。だから、フレンドリー、言いかえればいっちょかみしやすいトピックがこれからは拡散力を持つ。

 

ネット発の話題がTwitterで話題になって世間でもニュースになるサンプルとして、“保育園落ちた日本死ね”騒動が取り上げられていた。

 

そこで思い出したのが、“日本語が亡びるとき”騒動。『日本語が亡びるとき』という本の出版を契機に、おもにネット内(保育園落ちた日本死ねと同じくはてな発)で盛り上がった日本語の行方についての議論。インターネットクロニクルにランクイン必至のトピックで、2008年当時にネットを使っていた人なら絶対知ってそうなトピック。

 

ネット民にはよく知られたトピックでも、テレビなどのマスメディアではさほど盛り上がった記憶はなし。言語の行方は文化の行方にもつながるから、“文芸の話題“を越えて普遍性のあるトピックなんだけど、盛り上がりはイマイチ。

 

2008年と2016年では、ネットで話題になるトピックやネットを使う層も変わったからの、“保育園落ちた日本死ね”騒動に思えてならない。

 

いっちょかみしやすいトピックが話題になりやすく、いったんネットで火が付いたらテレビも報道せざるを得ない、今の傾向がよくわかる。

 

そしてマネタイズよりも、ユーザー同士の心地よいコミュニケーションを明確に志向する、若年層向けサービスの登場は、ネットの炎上しやすい傾向の先を行っている。

 

若年層ほど外国人と一緒の職場で働く可能性は高く、外国人と一緒の職場で働く可能性の高い若年層は、日本文化の伝道者となる可能性も高い。

 

年取った日本人よりも多様な価値観にさらされる彼らを、心地よいコミュニケーションでくるむのは、より善きものを次世代に残そうとする試みにも見えてくる。

 

コンテンツ制作にたずさわる人が読むと、より面白く興味深く読めるのは間違いなし。でも単に映像コンテンツともスマホともやたらと接触時間が多い、暇人が読んでも楽しめた。

 

お休みなさーい。