Twitterから、テロ助長アカウントが一掃されたようで喜ばしい。平和にハラヘリーとかケーキ美味しかった💕と、つぶやくことメインで使ってるサービス。
お出かけ楽しかったーとつぶやいて満足なユーザーのすぐそばに、テロリストやテロリスト予備軍が潜んでいたらオソロシイ。日本語ユーザーにどのくらいその手の人がいたのか、よくわかんないけど。
例えば、社会を変えるために寝食忘れて打ち込んでるような人のそばを、SNSで通り掛かっただけで殴り掛かられるなんて、理不尽でしょうがない。
Twitterをはじめ、悪逆無道でネットから追放された人が、次に向かうのはきっとリアルな場。ネットの使い方もピンキリだから、悪口雑言をネットに書き散らすことで小金を得ていた人が、いても不思議はない。そして、悪口雑言を書き散らかすオシゴト場ごと消滅しちゃったものの、悪口雑言を言い散らかさずにはいられない人が次に向かうのは、リアルの場。
噂がどうして流行るか考えたことある? それはね、みんなが望んでるからだよ、それを。(恩田陸『球形の季節』より引用)
パブリックな場所で、人に聞こえるような大きな声で、聞き苦しいことを言い散らかせばOK。「法律に触れないギリギリ」のところで世間に対して復讐したいほど、暗い情熱をため込んでいる人を利用するのは、いつだって立ち回りの上手な人。
小金で動く市井の人を使って、社会実験的なゲームを企むのは、うなるほどお金を持ってるけど退屈な人の、気晴らしにもちょうどよさげ。
たくさんの人間が噂をすればさ、それは大勢で繰り返し呪文を唱えてるようなものだろ?それはだんだん“真実”に、“本当”になっていくのさ。それって凄く怖いことだよね。(恩田陸『球形の季節』より引用)
閉鎖的な場所に流す噂には、ネガティブなイメージの尾ひれをつけ、明るい場所に流す噂には、ポジティブなイメージの尾ひれをつけ。
噂がどんな形で育って最終的にはどこまで“異形なもの”に化けるのか。市井の人をはるかに見下ろす場所から実験したら、さぞ面白かろ。ついでに、「価値観の違うクラスタ」の育成にもなる。
噂の口火を切った人、ある事態を特定方向に導こうとして、噂を呪法のように使いこなした人、噂にのった人の罪はどこまで問えるのか。
“人海戦術”に頼らなくてもすむ進化したネットの世界は、今まで検証不可能だったことも、検証可能になる世界。
偽造・ねつ造もネタが割れるのはずいぶん早くなって、ネットっていうのはすぐバレちゃう、が実感できる。
環境の方がクリーンに変わっていけば、個人が死力を尽くして跳ぶ必要もなくなる。ただ生存のためだけに使っていた力も、違うことに使えるようになる。
資本主義というゲームに参加して、お金の力で社会を変えられるほど遠くまで跳んだ人が、次に見る夢ってなんだろな。
根拠なき噂は、人よりも大きな声で騒ぐスピーカーに吹き込むとより効果的なこと。呪法のように噂を駆使して、コミュニティの神的にふるまう少年が出てくるお話を読み返したのに、気になるのはそんなこと。
お休みなさーい。