クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ただの日記

道なかば、逆から読んだらバカな道。


座布団はダースでプレゼントしたくなるし、いいねは100連発したくなる、本日耳にした名言。よい拾いものをした。。選挙サンデー明けは、人生イロイロが垣間見えてゆかいだね。

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(選挙前の街角風景さ)

知的トレーニングとしての読書は、有効であっても万能じゃない。読む本を間違えて、間違いを正す機会もなかったら、しおしおのぱー。

 

名著と呼ばれるものであっても、道徳や良識の移り変わりも激しい今読むと、なんじゃこりゃ!?と頭グルグルになれる。

 

ある年代、すでに第一線を退き樹木葬や生前贈与、あるいは永代供養ということばに敏感に反応しそうな年代の、特定層にバカ受けしてるらしい気配も濃厚な『書を捨てよ、町へ出よう』を読んでみた。より正確には読んでみようとした。でもダメだった。目が滑ってどうしても読み進められない。

平均化された生活なんてくそ食らえ。本も捨て、町に飛び出そう。永遠の青春の旗手が贈る、自分を知る一冊。

時代と共に駆け抜けた天才アジテーター・寺山修司による、100%クールな挑発の書。

(アマゾン内容紹介より引用)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 勝負の世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる。

(表紙より引用)

だってさ┐(´-`)┌ 


不幸を売りにする人なんて、負の連鎖に巻き込まれそうでイヤだけどな。これ、今どきで言えば炎上ブロガーによる言いっぱなしの極論じゃないですか。ついでに、グーグルアドセンスも即レッドカード食らって停止されそう。

 

極論は極論として、ことば遊びや思考実験が楽しめる人向け。ところが現代のことば遊びや思考実験は、グーグルさんによって大幅にアップデートされているので、当時の極論を面白く読むためには、二歩も三歩も知的にも時代的にも後退しないと楽しめない感じ。無理して読む意味がわからないから、読まなくてもいいやと放り投げた。

 

すでに歴史だもの。

 

この書を青春時代にバイブルのようにあがめた人もいたかと思うと、不思議な感じ。刺激が乏しい時代にあって、アジテーションの魔力や引力はかくも強烈だったのか。常識からはみ出す人が、極少数だったからこそ非常識な内容も許されたのか。

 

簡単に道を踏み外せる現代からすると、ただひたすらなんじゃこりゃという気持ちで頭グルグルになる。

 

当時の常識との格闘が、必ずしも普遍性をもって未来に受け入れられるとは限らないという意味で、資料的価値はあるかも。常識も良識も、先鋭的になったり保守に回帰したり。基準、スタンダードでさえ行ったり来たりでぶれたりもするけれど、決して踏み越えてはいけないラインはぶれたりしない。

 

常識や良識に挑み、あえて非常識にふるまうことは、常識や良識をくっきりはっきり逆照射する。とはいうものの、そこに思想の駄サイクル、使い回しもくっきりはっきり表れるようだったら、興ざめもはなはだしい。

 

それ、何十年前かの若者で今お年寄りな人が言ってたことと、ソックリやーんと思う若い人が、こなきじじいに見えてしょうがない。そして、こなきじじいは砂かけばばあと仲良しなんだよって、Wikiさんが教えてくれた。なるほど。

 

夏、お盆が近づくと、妖怪の動きも活発化するものか。猛暑が予想される今年は、夏バテしててもええんやで。知的でおしゃれで経済的自由もある人が、多数の支持を得られた昔を忍びながら。

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(これも街角風景)

お休みなさーい。