期間限定イベント、琵琶湖疎水を十石舟で行く『岡崎さくらわかば回廊十石舟めぐり』を体験してきた。(※桜の開花に合わせた、GWまでの期間限定イベントなので、現在は終了)
琵琶湖疎水沿いは、桜の名所。地上から見る桜もいいけれど、疎水から眺めたらなおよかろう。ということで始まったのかどうかは知らないけれど、今回の京都旅行でいちばん楽しみにしてたのは、琵琶湖疎水クルーズ。クルーズといいつつ矢切の渡し風な十石舟だけど。桜の季節もとっくに過ぎて、葉桜だったけど。でもいーの。
幼少のみぎりに遊んだあの琵琶湖疎水。原風景のひとつといっていいあの景色を、水上から眺めるというだけでも特別感がある。
(葉桜でわっさわさな冷泉通り。桜並木もずいぶん立派になっちゃって。昔はこんな風に緑のトンネルにはなってなかった。)
十石舟の乗場は、琵琶湖疎水記念会館直下の水溜り。噴水が目印。京都市動物園のすぐ真下でもあり、幼少のみぎりには水遊びや魚釣りなどして遊んでおりました。ただし、見た目より水深が深くて危険なので、今も昔も水遊びは禁止のはず。間違ってもいい子は真似しちゃいけない。
(十石舟の内部はこんな感じ。和風だね。)
ここから、鴨川方面めざしてしゅっぱつー。途中2か所ほど大きく曲がり、夷川発電所の水溜りで転回するコース。
この通り沿いは、数え切れないほど歩いたり車で通ったりした場所。水面という下から眺めてみると、見慣れた景色もどこか新鮮。
疎水に架かる橋はどこも小さな橋で、かつ川面との距離が異常に近い。屋根付きの舟だけど、橋の下を通過する時には屋根が下がってくる仕組み。そうじゃないと、通り抜けられないからね。。
琵琶湖疎水記念会館直下の水溜り、南禅寺船溜りから鴨川にいたるこの辺りは、「鴨東運河」と呼ぶらしい。運河だったのね、ここ。知らんかったわ!!!深緑色の水色からも明らかなように、水深は結構深い。なんてったって昭和な時代には、ここ入水自殺の名所だったからね。
きゃーきゃー喜んで舟に乗ってたけど、心の中10分の1くらいは南無阿弥陀仏と手を合わせてた。知ってる人がひとりここで亡くなってるから。大昔の話ですが。時代の変わり目をただの個人が乗り切るのは、言うほど簡単じゃないのよ。
遊歩道も整備しつつあり、こじゃれた飲食店もぽつぽつ増えてきた冷泉通り。ひと昔前は、「ながぐつ亭」くらいしかなかったのにね。寂れるよりは、にぎやかに生まれ変わる方がいいに決まってる。
波もなくおだやかな、約3キロ30分ほどの行程。桜を思う存分愛でるには、水上からがいちばんいいポジションなので、ベストシーズンはやっぱり桜の季節。とはいえ、あんまり華やかでもない京都の市井っぽい景色がほんのり味わえるので、そこが魅力かも。
(古い橋は架け替え工事中)
20年30年経った頃には、ジェントリフィケーションが進んで、見違えるような景色になりそうなエリア。記録史的な意味でも面白かった。
(夷川発電所の手前。ここで舟が転回する。)
この先は、鴨川まであともう少しのところ。疎水は鴨川と合流するようにできている。
(疎水と鴨川の合流地点)
鴨東線が出来る前、電車は三条京阪どまりだった。京大や府立医大、あるいは相当がんばって同志社まで通う学生や教員のため、三条京阪から北の川端通りには、自転車屋さんがズラリと軒を連ねていた。そこで借りた自転車で、駅と大学の間を往復するシステムだったはず。今ではだいたいマンションなんかになっちゃってるけど。
年々歳々鴨川の河川敷はきれいに整備されていき、市民憩いの場所になっている。繁華街のすぐそばを流れる風光明媚な川は、観光資源や文化資源にもなって、たいへん好きな場所でもあるのだけれど、「橋の下にブルーシート」な景色も脳裏にこびりついている。
子供がそのそばを通るには若干勇気がいる場所で、ダッシュで通り抜けたりした昔から幾星霜。世の中は、確実によい方向へ向かっていると実感する。
かつて町屋だった場所は、すっかり高層マンションに生まれ変わった。この近辺に、ラグジュアリーなリッツカールトンが進出したかと思うと、乾いた笑いしか出てこない。
(誰かがお地蔵さまにそなえた花。こういうのはいつまで続くのだろう。)
鴨川のそばを流れるみそぎ川では、蛍を放流してるとか。水も水辺もずいぶんきれいになったから、これからも昔からきれいだったような顔をして、変わり続けるんだろう。
ときどき眺めにくるくらいの距離に住んでいて、ちょうど良かった。見知った街が見知らぬ街に変貌を遂げる、そのさまをつぶさに見せつけられると、きっと寂しくなるから。
京都旅行記、まだしつこく続く。
お休みなさーい。