帯広旅行の続き。旅行といっても札幌からなら日帰り圏だけど。
帯広に来るのは、2回目。えいやっとその気になれば日帰りで来れる距離なので(まるまる一日潰れるけど。。)、王道の観光地めぐりより取捨選択した時には切り捨てられそうなところに行く方が楽しい。メジャースポットを特集するのは大手メディアのやることさ。
というわけで、六花亭の包装紙の世界が体感できる「六花の森」をスルーし、コニファーの森で知られる「真鍋庭園」とどちらか迷ったあげくに「紫竹ガーデン」へ。「紫竹ガーデン」は、ひとりの女性がほぼ四半世紀かけて作り上げたお花畑。ガーデニングということばも市民権を得ていたかどうかも怪しい時代からガーデン造りに取り組んだ、ガーデンの草分け的存在。
ガーデンへと続く道の両脇には、チューリップのかわいいお出迎え。手作り感あふれる入口。15000坪はあるというガーデンの敷地内は、チューリップがちょうど見頃だった。でっかいどうな原野を見慣れていると、15000坪あってもそう広いとは感じなくなってきた。。でっかいどうと感動するよりも、あらこじんまりねとほのぼのした。
物量で責める、あるいは魅せるお花畑が各地に増えるなか、こちらのガーデンは「あぁガーデニング、園芸好きな人のためのガーデンね」という雰囲気が濃厚。お庭持ってる人だったら、こういう風に植えたいわーとガーデニング魂が刺激されるような見せ方をしてる。
こんな感じの花壇には、近寄ると珍しいチューリップがいっぱいでテンションが上がる。
八重咲きや絞り入りなど、珍しい色や形のチューリップたち。これもチューリップなの???と思うような、珍しいものがいっぱい。
葉っぱを見れば確かにチューリップで、チューリップの世界の深淵をのぞくよう。そういやチューリップバブルなんてものもありましたね。「今までにないもの」を作り出すのは楽しいだろうな、と園芸家でなくともそう思う。今となってはバイオの領分なんだろうけど。
ぐねるルピナス。
ガーデンのところどころに、休憩用の椅子やテーブルが置いてあり、のんびりガーデン全体を見渡せるようになっている。ガーデン全体といってもまだ春先なので、バラやクレマチス、あるいは白い花が咲き乱れるホワイトガーデンの見頃はまだ先の話。どちらのガーデンも、初夏から夏にかけてがやっぱり一番の見頃を迎えるのかも。
(花の苗も売っているところが、園芸好きにはますます嬉しい。)
すももの白い花を堪能した後は、色とりどりのチューリップに癒される。吹く風がとにかく心地いい。この日は最高気温が30℃に迫る猛暑日だったけど、ガーデンの中は適度に木陰があるので、吹く風は涼しい。
休憩のために立ち寄った、なかさつないの道の駅。道を走らせていても対向車にも出逢わないのに、道の駅だけ人口密度が高い。近隣の人の社交場になってるっぽい。
田舎ならではの、卵販売機。のどかや。コンテナボックスか何かを持ってきてたら買ってたんだけど、長距離ドライブ中に割れそうなので断念。
行政からのお知らせが電光表示される自動販売機。「知らない人は信用しない」「特殊詐欺に注意」とか、次から次へと要注意事項が表示されるので面白かった。写真に撮ると、なぜかメッセージがちゃんと表示されないんだけど。そういう仕様なんだろう。
濃厚チーズ味ジェラートで腹ごしらえした後は、中札内村(なかさつないむら)の観光名所、ピョウタンの滝へと向かう。名瀑はあちこちにあるから、大手メディアにはスルーされそうな場所ほど行っておきたくなる。
もともとは貯水ダムだったものの、台風でダム機能を失い観光資源へと生まれ変わった、人口の滝。自然の厳しい北海道ではよくあることだけど、来歴がわりと哀しい。
結構な流量がある、結構な滝でございます。流れ落ちる滝を至近距離からながめられる滝見台もあるけれど、悲しいかな滝見台へも現在は「崩落の危険性があるため立入禁止」だった。大自然、どこまでも鞭打つよな。。むごい。
とはいえ滝のそばに寄るだけでも冷やっこい。体感で瞬時に5℃は下がった感じ。猛暑日だけに涼しさが嬉しい。
VRの最終目標は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など人間の五感や、平衡感覚などさまざまな感覚に働きかけて、「現実世界と実質的には同じ空間」を作り出すことにあります。
~VRビジネスの衝撃 「仮想世界」が巨大マネーを生む~より引用
ある景色における臨場感のある視覚、聴覚の再現はわりと簡単にできそうだけど、滝のそばに寄ったら冷やっこいという感覚は、一体再現できるものなんでしょうかね。
VRビジネスの衝撃 「仮想世界」が巨大マネーを生む (NHK出版新書)
- 作者: 新清士
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/05/10
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
グーグルストリートビューもそのうちリッチになって、よりVRに近付くのかも知れないけど、ある人がある時点で経験したことをそっくり再現するものじゃない。提供されるのは標準化された“リアルに近いもの”で、これが●●だよ~とアナウンスするためには、ありのままの●●ではなくて、何らかの編集が加えられる。
この時期の帯広は、実はたんぽぽが咲き乱れてお花畑なだけじゃなくて、窓を開けると“獣くさい”。
牛や馬ものびのび動き回っているから、その匂いも風に乗って運ばれてくるので“獣くさい”。でもそれはどちらかというとマイナス情報で、ありのままだったらマイナスな感情を呼び起こすものも編集によって削除されそう。季節や時間帯によっても姿や形を変えるもののなかから、いったい誰が何を「標準」として選ぶのか。
「現実世界と実質的には同じ空間」を作り出すことに熱狂する人は、単に編集や演出の場が広がったことに喜んでいるだけで、彼らが作り出すものは、やっぱり現実世界とは似て非なるものだから信用ならねぇとか。まぁそんなことが瞬時に脳内を駆け巡った。
「現実世界と実質的には同じ空間」を作り出すことに巨額のマネーが動いたあげく、体感できるのは現実とは似て非なるニセモノの体験だったらしょうもない。リアルな体験へのハードル、交通費や宿泊費にかかるコストが下がって、各自がそれぞれのリアルを体験できる方が、ずっと価値があって豊かなんじゃないのと思った。
白い花びらがチラチラと舞って桃源郷気分を味わえて、いい匂いも獣くささも、暑さも冷やっこさも味わえて。人工知能が人の仕事を奪って暇な人が増えたら、暇な時間に自分の体使ってどこかに出掛けて、何でも自分で体験しようと考えるんじゃないのと考える非ゲーム脳。
暇な時間が増えれば増えるほど、家の中に縛りつけようとする発想がよくわからない。それで得するのは誰なのか。エンタメ業界とエレクトロニクスな業界だけじゃないの。行動様式が変わっても娯楽の王者&産業の王者でいようとするその精神が、厚かましくてびっくりさ。
ということで、天気のいい日には自分の体使って遊びに行くのさ。
お休みなさーい。