クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

思い出のミーツリージョナル

雑誌を自分で買う機会がすっかり減った。買うのはほとんどがローカル情報誌。別名タウン誌ともいう奴か。『Poroco』や『O.tone』に『HO』みたいな雑誌。それ以外の雑誌とご対面するのはカフェや喫茶店、そして美容院。

 

ローカル情報誌が好きなルーツを探っていくと、『Meets Regionalミーツリージョナル』に行き当る。京阪神エルマガジン社が発行する京阪神の情報誌。B級グルメの楽しさを教えてもらったのもこの雑誌から。関西を離れた今はすっかり縁遠くなったけど、昔は大好きだった。

 

今でこそB級グルメも、汚な美味いお店特集も珍しくないけど、20年前に雑誌でそんな特集をやるところは珍しかった。ミーツリージョナルが好きな理由は、他の雑誌にはない“ホンマモンっぽいところ”。リアルな街場の空気が凝縮されてるようで好きだった。

 

世の中が住専問題で揺れていて、去年まで関西長者番付にランキングされてたような人が、みるみる落ちぶれていく姿を目の当たりにしてた時。世の中の不況はどこ吹く風な、他の雑誌のラグジュアリー感がたまらなく嘘っぽかった。

 

最近はずいぶんマシになったけど、女性誌の巻頭を飾るファッション特集は、会社に着ていけない服が多く並ぶ。特殊な業界ならいざ知らず、クライアントに会うのにその服ありえへん。普通のオフィスワーカーの方を向いてない服を多く紹介するのは、おしゃれ感度が高いと言わんばかりだった。

 

服飾メーカーやバイヤーが、しょっちゅう雑誌社の人間を招いてパーティとかやってた頃。マスコミ(?)特典で、流行りの服がずいぶん安く手に入ると人から教えてもらった。

 

“オトモダチ“の意向を受けた服を紹介するから、自分の財布で好きなものが買える人なら見向きもしない服が巻頭を飾るのかと納得した。

 

ラグジュアリーなんだけど微妙にビンボ臭い舞台裏を知ると、ますます嘘っぽくて有難みもなかった。そんな中でミーツリージョナルは、手の届く街遊びの楽しさをアナウンスしていたから、感じよかった。食べログのような口コミサイトもまだなかった頃。提灯持ちはダサイし、大して美味しくもないものを、大枚はたいて有難がるのもダサイと繰り返し発信してた。

 

ライターの人が書く文章も勢いがあって面白かった。

 

“心臓バックバク、めかしこんで足を踏み入れた憧れの高級フレンチレストラン。そこにひとりのおばさんがやってくる。毛玉だらけのセーターに、財布ひとつだけ持ったおばさんは自分達よりも上席に案内され、メニューも見ずに「今日はうち魚にしとくわ」と言い放ち、打ちのめされた”とか。芦屋や神戸でありがちな、ランチタイム格差の光景を切り取っていて面白かった。

 

それなりの場所に行く時、セレブはめかしこむけど、生まれながらのお金持ちは普段着でも気にしない。見た目は地味だけど、誕生日プレゼントは“馬“とか。そういう人たちが居るのはもうどうしようもないから、自分達に手の届く範囲で楽しもうというコンセプトが明確だったから好きだった、ミーツリージョナル。

 

サンプル数が少ない人を目指して無理するより、圧倒的に数の多い人の方を向いていて誠実だと思ってた。

 

圧倒的に数の多い人の方を向いてるからといって、B級グルメも汚な美味いもまだ始まったばかりだったから、圧倒的支持を受けることはなかったけど。

 

サンプル数が少ない人を目指して無理させようとする構造、情報発信サイドはよくやる手法。向上心は否定しないけど、向上心の方向性を間違えたら詐欺師が出来上がる。ばびろんまつこみたいに。

 

下を向けとも言わず、無理して首が疲れるほど高みをめざせと唆すでもなく。絶妙なバランスで、自分たちの目の前にあるものを楽しめとアナウンスしてくれから好きだった。関西情報だけではやっていけなかったのか、東京方面に進出した時は、嬉しくもありちょっぴり寂しくもあった。

 

メディアの熱量とか言われてもピンとこないけど、創刊して数年の間のミーツリージョナルの熱さが熱量だと言われたらピンとくる。

 

 お休みなさーい。