クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ちょっと思ったんだけど

ある特異な出来事に遭遇し、その特異な経験をすっかり文章化して自分の経験から切り離すことができたら、特異な出来事から受けた呪いからも逃れられる。

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罪を犯した人が何かを表現することに、いいとも悪いとも思わない。勝手にすればと思うだけ。犯罪自慢が金儲けの手段に繋がることに、嫌悪感を感じるだけ。表現したいだけだったら、ブログにでも書けばいい。日本の少年犯罪史上類をみない事件を起こした人のブログなら、物好きな人から一定の支持は得られるはずだから。
 
 
そんなブログでもアフィリエイト収入を得られるのかどうかは知ら ない。グーグルさんがどんな判定を下すのかには、大いに興味あり。
 
 
承認欲求は満たされても、金銭的報酬には一向に繋がらない。それもある種の地獄だけど、幸いにして出版への道は、アフィリエイターへの道よりハード ルが低かった。
 
 
換金性の高い文章が書けると証明できたら、スーパーアフィリエイターへの道も開けたも同然っぽい。あとは実体のあるものないもの含めてモノを 売りまくって日本社会の成長に貢献すれば、社会への贖罪も完成する。
 
 
日本の犯罪史上類を見ない事件だっただけに、更生のための特別プログラムが組まれたことは知っている。特別プログラムの関係者は、出版に至ったことを更生とみなすのか否かが気になるところ。彼らが思い描いた更生の着地点からそう乖離してないのであれば、一般人がとやかく言うことじゃない。更生プログラムは問題なく進んでいると、考えればいいだけだから。
 
 
特異な経験をすっかり文章化して、「終わったこと」にして次のステップに進む。被害者が先に呪いから解放されたのならまだしも、加害者の呪いが先に解けることに、著しい違和感は感じるけど。出版を知って、新たな呪いをかけられたも同然の被害者家族の「なぜこんな目に遭うのか」という呪いは、解ける日が来るの かどうかが気になっただけ。