クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

映画『セッション』とAKB総選挙と

映画『セッション』とAKB総選挙を見て、あっこれ同じ構図だと思った。

www.huffingtonpost.jp

 AKB 総選挙、正しくは見たんじゃなくてナンバーワンにはなれなかったアイドルのスピーチを読んだだけ。それでも、努力しても必ずしも報われるとは限らず、報わ れるとは限らない努力でも、続けることでしか未来は開けないというメッセージ性はまったくいっしょだった。まったくいっしょ過ぎて、切なくなった。
 
 
映画『セッション』では、明日の一流ジャズドラマーを目指す若者が主役だった。お父さんは音楽業界とは無縁の一般人で、特にお金持ちでもない。つまり、コネ なし人脈なし。頼りになるのは自分の腕二本状態で、音楽で頭角を現すことを夢見る若者が味わう挫折と苦難と血みどろの努力を描いてた。
 
 
文字通り血みどろ。指や手の皮が破れるほどドラムを叩き続け、恐らくは練習のし過ぎで視野狭窄に陥ってしまう。そんなことまでせんでも。。という展開のあげく、さらには全身まで血みどろになってしまう。もうこの辺はちょっとしたホラーで戦慄した。超コワかった。
 
 
こっ ぴどい目に遭ったにもかかわらず、夢は断たれ、一流ジャスドラマーを目指して入学した学校も去らねばならなくなり、主人公は失意の日々を送る。その福音と して別の道も開けそうになるんだけど。そんな矢先に再会したのが、元凶となった鬼教師。彼の度を過ぎたシゴキが無ければ、主人公の未来もまた違ったもの だったはず。
 
 
元凶となった鬼教師が、もう一度舞台に立たないかと悪魔のように主人公を唆す。まさに悪魔で、彼を舞台に誘ったのは、贖罪を求めてという美しい理由なんかでは全然なかった。
 
 
一流の音楽学校を去らねばならなかったのは、鬼教師もまた一緒。恐らくは復讐、主人公にこっぴどい恥をかかせて二度と立ち直れない位叩きのめし、鬼教師の鬱憤を晴らすため。
 
 
その罠に嵌ったかに見えた主人公が、みごと悪魔の手から逃れ、より広い世界へと自力で羽ばたいていく姿が映画では素晴らしかった。やっぱり血みどろなんだけど。
 
 
努力して努力して努力して。どれだけ努力しても報われずに失意のドン底に落とされて。それでも努力を放棄しなかったからこそ掴み取った、明日へのチケットが 重過ぎた。全然スカッとも、良かったねーというカタルシスも感じなかった。ただただ重かった。素晴らかったけど、重かった。
 
 
AKBのアイドルのスピーチもいっしょ。
 ”頑張らなきゃいけないときっていうのは、一瞬ではない”
 感動的ではあるけれど、どこまでも重くてどんよりとした。
 
 
努力しても必ずしも報われるとは限らず、報われるとは限らない努力でも、続けることでしか未来は開けないというメッセージを受け取って、よっしゃわいもがんばるでー!と晴れ晴れとした人、どのくらい居たんだろ。
 
 
森泉や道端三姉妹が、泥臭い努力とは無縁の世界でニッコリ微笑んでるのを視界の端にとらえながらね。コネなし人脈なしな人間が、コネも人脈も自力で築きながら、頂点をめざす。気が遠くなるほど強い精神力がないと、よっしゃわいもがんばるでー!とはなれなさそ。でも、それがリアル。
 
 
努力しても必ずしも報われるとは限らず、報われるとは限らない努力でも、続けることでしか未来は開けないというリアル。圧倒的に残酷なリアルに打ち勝つのは、飽くなき努力を続けるというリアルに、最適化した人だけという世界が重かった。インターバルがあったとしても、一生勉強・一生努力、ずっとアップデートし続けるってことだから。
 
 
洋の東西を変えてみる。例えばアメリカ人だから、あるいは日本人だからと、活躍する舞台を変えて、”外国人”という立場に甘えて下駄履かせてもらう。下駄履 かせてもらおうとしても、外国人を甘やかす余地なんかもうどこにも残ってないとエンターテイメント界が、グローバルに一致団結して告げてるようだった。
 
 
世界が繋がると、世界でいっせいに競争が厳しくなるだけで、なんだかすごく疲れてグッタリする。せっせと新興市場開拓してパイを拡げていかないと、そりゃ疲弊するだけだわ。
 
 
以前書いた『セッション』を見た感想はこちら。

waltham7002.hatenadiary.jp

 

 お休みなさーい。