クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『バードマン』見てきた

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』見てきた。サブタイトル長いっすね。今年のアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞受賞作です。

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すべてを手に入れ、すべてを手放した。もういちど輝くために、もういちど愛されるために、いったい何をすればいいのか? (フライヤーより)
かつてバードマンというヒーロー映画の主役を演じて人気者になったものの、現在はすっかり落ち目の俳優リーガン。再起をかけて望むのは、小難しそうな文芸作品、しかもブロードウェイでの舞台。かつてバードマンだった男は再び輝けるのか!?そこが見どころその1。
 
 
この映画の予告編を見た時、バッドマン、あるいはガッチャマンを思わせるような”鳥人間”が登場していて、虚構と現実をミックスしても嘘くさくならないために、一体どんな工夫がされているのか。そこにとっても興味があった。
 
 
マ イケル・キートン演じる主人公のリーガンは、その生涯を虚構、フィクションの世界で生きてきた人。他人を虚構の世界に連れていくことで対価を得て生きてきた人の日常は、夢かうつつか幻か。プライベートにも仕事であるフィクションが侵食し、他人には見えないフィクションの世界の住人とさえ会話する毎日なのか も。「お前はそんなとこで終わる奴じゃないだろう」みたいなことを囁くバードマンの声を聞くリーガンは、他人から見ると時に常軌を逸している。
 
 
で も、常軌を逸しているのはリーガンだけじゃない。リーガンの再起をかけた舞台を台無しにする、エドワード・ノートン演じるマイクもいっしょ。劇、虚構を見に来ている大勢の観衆の前で、よりリアルさを出そうと共演女優をほんとに襲いそうになるんだから、いかれてる。虚構の世界よりも、虚構を演じるリアル世界の住人の方が、よっぽどいかれてるんじゃないのと思わせる。
 
 
再起をかけるリーガンが選んだのは、レイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』という、シリアスものの舞台化。
 
 
ブ ロードウェイに舞台を見にくるような人、階級といってもいいけれど、そうした趣味嗜好の持ち主に応じて”高尚なもの”を演じるけれど、はたして”いかれ た”リーガンたちが、高尚な趣味嗜好の持ち主たちも、いかれた虚構の世界に引きずり込むことができるのか!?ここ、個人的な見どころポイントその2でし た。
 
 
家でカウチポテトしながらDVD見るような人たちだったら、かつてスーパーヒーローを演じたリーガンにも温かい声援を送りそう。ところが勝負の舞台はブロード ウェイ、相手はスノッブの権化で本物の権威。彼女の筆ひとつで観客の入りも左右するような、影響力のある劇評家は、”いかれた奴ら”に手厳しい。
 
 
リー ガンがカーヴァーに心酔する「とっておきの秘密」でさえ、鼻もひっかけない。リーガン危うし。おまけに、とあるアクシデントでカウチポテト族には人気者と なるけれど、彼らは劇場に足を運ぶような人たちじゃない。リーガンとは無縁の世界で騒いでるだけ。無縁だと思ってたんだよね、高慢の鼻がへし折られるまで は。
 
 
かつてのヒーローに相応の敬意を払うどころか、オモチャにする。リーガンを、コドモダマシでしかなかったヒーローから、権威の権化でさえ認めるリアルヒーローという新しいステージへとテイクオフさせたのは、その辺の、ただ騒ぐのが好きな浮かれた人たち。
 
 
リーガンの愛するひとり娘を演じるエマ・ストーンは、ラストでリーガンを見失って一瞬狼狽する。でも、リーガンを探して窓の外を覗きこんだ彼女は、とても嬉しそう。
 
 
外からは、リーガンを待望する人たちがリーガンを呼ぶ声も聞こえてくる。
 
 
虚実入り乱れた劇場型人生は、コドモダマシを越えたリアルヒーローを求める浮かれた人たちと続くよ、どこまでも。カッコよく幕を下ろしておしまいなんて許されないんだよ、きっと。
 
 
きれいな朝日、夕焼け、そして夜空に輝く星に月。見終わった後、つい視線は上を向いて、沈んではまた昇るを繰り返す何かを追いかけたくなる。
 
 
今聞き返しても、音楽もすごくカッコよくて良かった。サントラ欲しくなった。
 
お休みなさーい。