クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『たったひとつの「真実」なんてない』を読んだ

『たったひとつの「真実」なんてない』~メディアは何を伝えているのか?~を読んだ。

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事実はひとつ、真実は、その事実を見つめていた人の数だけある。交錯する複数の真実の中から、事実を見つけ出すノウハウを、テクニカルな面も交えて平易に説明してくれた本。
 
 
書いた人は、今のメディアにおいて「お友達の少なそう」な人、森達也氏。テレビディレクターを経て映画監督となり、メディア論に関する著作も多い人。現在は、明治大学情報コミュニケーション学部で教鞭をとっているらしい。
 
 
今のメディアにおいて「お友達の多そうな」な人代表と言えば、池上彰さん。なぜお友達が多そうに見えるかと言えば、しょっちゅうテレビで見掛けるから。本も たくさん出していて、露出が多い。「お友達の多そう」な人の意見は、ほっといても聞こえてくる。だから敢えて「お友達の少なそう」に見える人が書く、メ ディアとの接し方指南書を読んでみた。映像メディア出身の人が書いた本なので、おもにテレビの話、ちょっとだけネット。
 
 
はじまりは北朝鮮への旅から。豊かさの違いはあっても、思ったよりもフツーな北朝鮮の情景は、どこの国でもフツーの人の生活には大した違いはないと思わせ る。フツーとはちょっと違う、あの国をあの国らしく見せているのはメディア。メディアのあり方が、商業主義寄り資本主義でオープンなメディアに慣れた目に は、ずいぶん違って見える。
 
 
メディア、テレビやラジオそしてネットが、オープンなのかクローズドなのか。メディアの形によって、国の形が変わる。国の形が変わるんだから、メディアを見る目は大事。メディアを見る目を養うために、その特性を知ることも大事。
 
 
何かを選べば何かを捨てることになる。
 
 
テ レビの視聴時間が長い人なら、各テレビ局の個性についても承知してるはず。NHKにテレ東にフジテレビetc.etc. それは看板番組由来かもしれないし、ネットの評判由来かもしれない。とにかくそこに差、個性ありきなのを、ある程度承知しつつ見ている。同じ事件でも、局によって報道の仕方があきらかに 違ったりする。最近だと、テレ朝のコメンテーター古賀氏の退任騒動を各局がどう報道するかで、個性が出てた。
 
 
誰の言い分に肩入れするのか。いくつもある関係者コメントの中から、誰のどのコメントを選ぶのか。ノーコメントな人は誰なのか。その時にいっしょに映る映像は、どんな映像を使うのか。
 
 
放送局が違えばすべて違うはず。この事情は、ラジオでもネットでも一緒。どの情報を生かしてどの情報を捨てるのか。そこに、メディアの個性が表れる。そして、各メディアの個性には、背後にどんなファン層を抱えているのかもすっかり明らかにする。
 
 
権力志向なのか、反権力志向なのか。お金スキーなのか清貧がウリなのか。
 
 
どのメディアも公正中立で客観的であろうとするけれど、完全にニュートラルな立場はありえない。ニュートラルであろうとするなら、個性はいらない。各メディアから主観を無くすんだったら、事実だけを羅列、〇月×日どこそこでホニャララがありましたと、ニュースリリースだけ流せばいい。でも、それだとつまらない。つまらないメディアには、スポンサーも広告も入らないから、経営が成り立たない。
 
 
貧すれば鈍すで経営が危うくなったメディアは先鋭化する。物騒な見出しをかかげ、見る人の不安を煽る。そんなメディアからは目を逸らせばいいんだけど、怖い もの見たさでつい見てしまう。不安な気持ちは伝染しやすい。不安は猜疑心に火をつけて、いつの間にか勇ましい事を口走ってたりする。ネガティブなことも汚 い言葉も、「みんな一緒」なら罪悪感も薄い。
 
 
でもそんな「真実はひとつ」な状態は、とっても危険。Aという事実があれば、いやそれBじゃないのと言う人がいて、AかBかで争う人達を見て、あんた達いい 加減にすればと言う人がおり。その状態すべてをコメディに変換する人がそろって初めて「真実はひとつ」じゃなくなるから、「真実」の暴走もふせげる。
 
 
気がついたら、よく知りもしない人達と一緒に、訳もわからずこぶし振り上げてる自分なんて、嫌でしょ。
 
 
自分が嫌にならないために、誰かに変えられてしまわないために。そもそも、貧すれば鈍すようなメディアにしたのは誰なのか。良かれと思ってそのメディアを見る人読む人が、メディアを変えてしまう加害者にもなりうるのがメディア。自戒をこめて。
 
 
それくらい、使いこなすのが難しいツールでもあるメディア。怖いのは、今後はテレビだけでなく、ネットも加わって、ますますツールの見極めが難しくなるところ。メディアに使われて不幸になるよりは、幸せになるツールとしてメディアを使おうと呼びかけて、この本は終わる。
 
 
不幸になりたがる人なんて滅多にいない。ちょっとでも楽しく、あるいは今よりハッピーになるために、メディアを使ってる。車にアイドルやスター、音楽、 ファッション、楽しそうなことはだいたい好き。楽しいことに溺れて世事に疎くなるのはまずいけど、楽しいことに背を向けて、辛く険しい道を行けと言われて もムッとするよ、普通。
 
 
何を信じればいいのかわからなくなる中で、信頼できる何かを見つけるのは難しい。手の内をすっかりオープンにしてるなら、ちょっとは信用できる。手の内をすっかりオープンにした上で、使われるよりも使いこなせと説く何かなら、少しは信頼できる。
 
 
その上で、何かを強いたりせず、どこまでも自由にのびやかにさせてくれる、楽しいことが好きな人がいるところ。目指すのはそんな場所。魅力的な人はみんな優しいし、自主性も重んじてくれるから、そんな人達に選ばれる方が大変なのよね。