クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ビター・ビター・バレンタイン

父親にバレンタイン用としてプレゼントした、六花亭のガトーショコラ。たいそう美味しかったと報告があったので、自分用に買いに行ったら、速やかに撤去されていた。さすが売れてるお店のやる事は違う。ダラダラといつまでも店頭に並べるようなことはしない。

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ガトーショコラは手に入らなかったけど、オレンジチョコレート、オランジェット風味の紅茶でおやつに。飲んだ時よりも、リーフそのものの方がチョコっぽい香り。これはこれで美味しゅうございます。
 

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考えてみれば義理チョコが嫌いなのは、チョコに対する愛情が深すぎるからで、ぞんざいに扱われるチョコが不憫。ぞんざいに扱われるくらいなら、渡さない方がマシ。もっというなら、大事にする私にこそ頂戴よ、くらいの気持ちがある。
 
 
甘党でチョコ好きだから、辛党で甘い物を食べない人と付き合ってた時には、チョコをもらう方だった。バレンタインで気合の入ったお菓子が並ぶんだからと、好きなものを選ばせてもらってた。代わりに贈るのはお酒とか。お互い好きなものが手に入ってハッピーだった。
 
 
ある時のバレンタインもやっぱりそんな感じで、プレゼントされたチョコ食べてたら、手紙が出てきた。携帯メール普及以前で、気軽に連絡先の交換もしてなかっ た頃。決戦はバレンタインな人もしっかり存在していて、「このチョコどうしたの?」と尋ねたら、「よく知らない人からもらった」と白状した。
 
 
お歳暮の横流しじゃないけど、バレンタインチョコの横流し、贈る相手は自分の彼女。いろいろと問題あり過ぎ。
 
 
洒落たチョコに洒落たパッケージ、お手紙の内容も含めてかなり「本気度」が高かった。その「本気」をスルーするんだから、ある意味がっかり。がっかりだけ ど、飲み友達で遊び友達から付き合い始めたから、そういう残念なこともする人だとわかってた。なので、ひどく驚いたりはしなかった。むしろ、外面や雰囲気 に騙されて、好きになっちゃったのね、と「よく知らない人」に同情した。
 
 
いったん自分のフトコロに入れた人は、男女を問わずに大事にする親切な面があった。その代わり、すべての人をフトコロに入れることはできないからと、好悪がはっきりしていた。
 
 
頭 の回転が早くて弁も立って。一見説明困難なことでも言語化するのが上手だった。知識をひけらかすのが嫌いで、アホっぽく見られることを好んでた。そのくせ 相手を”いてこましたる”と決めた時の舌鋒は鋭くて、見てるとハラハラ、矛先がこっちに向かうとズタズタにされた。相手を叩きのめそうと決めた時には、悪 魔的に頭の回転も早くなって、刃となった言葉で斬りつけてくるタイプだった。
 
 
いい面と悪い面との落差があり過ぎた。なまじ頭がいいだけに、その知性をもう少し優しさに振り向けて欲しいと何度も思った。
 
 
今 も昔も頭のいい人が好きだけど、私が好きな頭の良さは、相手をどこまでも自由にのびやかにさせる、優しさ必須なものだから。自分の中の究極の知性は、どこ までものびやかに広がってスクスクと育った大きな木のイメージに行き着く。大きく枝を広げた木の下だから、誰もが安心してのびのびと自由に過ごすことがで きる、そんな感じ。
 
 
その気持は結局伝わらなかった。いつまでも”危険な言葉遊び”が好きで、のびやかに広がることもなく、残念なところは残念なままだった。歳とった今なら、もう少し丸くなってるのかもしれない。お互いさまではあるけど。
 
 
刃のように切りつけることもなく、当たり前の言葉を使って相手をどこまでも自由にのびやかにさせる。結構難しくて今も四苦八苦してる。
 
 
お休みなさーい。