クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

電車が通ってなかった街

電車が通ってない街に住んでたことがある。
関東圏だけど、その当時東京へ出るにはバス便しかなかった。空いてる時で1時間半超はかかり、高速が混んでたら2時間~2時間半はかかってた。
 
 
そのくせ東京圏へ出張する人も、東京圏から出張で来る人も多い、陸の孤島と呼ばれてた街。
 
 
例えば飛行機に乗る予定がある時など、道路事情によって到着時間が前後するバスは怖くて使えない。そんな時は、隣の市にある駅まで高速道路並みのスピードで20~30分車で走り、駅の近くの駐車場に車を止めてから電車に乗ってた。
 
 
連休中などで不幸にして駐車場が満杯だったら、アウト。スゴスゴと引き返すか、そんなことにならないよう予定より思いっきり早くから出掛けてた。
 
 
バスで出掛ける場合も、時間帯によっては途中のバス停から乗り込むと、満員で何度もバスを見送ることになった。高速バスに乗るために、わざわざターミナル駅までバスに乗って出掛けてた。
 
 
人工的に造られた街で、普通は街の発展に応じて徐々に色んなものが整備されていくところに、ポンっと人間だけ放り込んで造ったような街。そのせいで、あらゆるものが後付けだった。
 
 
計画だけはとっても立派で、お醤油切れても車で買いに行くくらいの車社会なのに、空き地はやたらとあった。そのいくつかは国有地で、計画によると市内を循環するモノレールを作る予定があり、空き地はその時駅になる予定の場所だった。
 
 
そこさえ使えればとっても便利になる。そんな場所が「使われないままの空き地」のままで、生活導線から考えてもとっても無駄だった。
 
 
結局予算が獲得できないとかで、モノレール建設計画は流れた。取得価額から考えたら損してそうな時期に、民間に払い下げてた。
 
 
昔から街ではなかった場所。雑木林か荒地か。何にもない場所だったから、何でも一から作ることができた変わりに、来歴を利用することができなかったから、街づくりには無駄が多かった。
 
 
条例により、規定以下の坪数の小さな家は建てることができず、どの家も大きく立派だった。なぜそこがと思うような場所が「高級住宅地」とされ、そこからずいぶん離れた場所にようやく駅が出来た後には、元高級住宅地として、売値と買値の乖離に苦しんでる人が多かった。
 
 
坪7千円が坪100万以上に化けた街なので、価値観が極端な人がいた。
 
 
同じ市内でも、元から集落があって暮らしがあったような地域はもっと穏やかだった。集落の発展に応じて地域社会も成長してきた。そんな雰囲気があった。
 
 
元から街だった場所、街だった来歴がある場所の方が好きな理由は、人工都市の失敗を結構見たせい。当初の計画が立派で強固だったから、修正が効かない。そんな感じだった。元から街だった来歴を持つ場所の方が、もう少し柔軟。
 
 
ありとあらゆる「あったら便利」なものが、時代より早過ぎた。そんな気がしてる。
 
 
歩いて移動するのが厳しい街だったので、市内各所で乗り捨て自由なレンタサイクルや、ゴミ収集の省力化を狙った管路輸送システムなど、みんなが便利で必要と思わない限り、大事にされない先進的な取り組みが多かった。そのほとんどは挫折した。
 
 
あったら便利なシステムが、必要なシステムと認知されるには数が必要。新しいシステムに馴染むより、今あるものを工夫して使った方が早かったりするから。
 
 
あるいは、大事にしてない人がすぐに発見できるくらい、少人数でしか使わないものか。
 
 
人工的に造られた実験都市で面白い経験だったけど、あそこに骨を埋められるかと考えたらきっと無理。そんな経験でも、変な幻想を抱かないから、経験しておいて良かったと今は思える。
 
お休みなさーい。