クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

新たな物語が必要とされるとき

過去から学べることは、確かに多いんだよね。

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#bird

ラッセル・クロウが大変カッコよかった『グラディ・エーター』。ローマの剣闘士を描いたこの映画では、パックス・ロマーナの影で、民衆の娯楽やはけ口として、剣闘士同士のバトルが人気だったことがわかる。
 
 
派手な見世物で日頃の憂さを晴らす。ネット芸人による炎上騒動を、エンターテイメントとして楽しむのと、構図的には変わらない。
 
 
”入れ物”があれば中身が似てくるのもしょうがないけど、同じことを繰り返すのは芸がない。
 
 
名案が浮かばない時に、過去の成功例から学べることは確かに多い。ただし、過去100年とこれからの100年では、テクノロジー、技術の進歩が劇的に進むので、過去に学べることは、今までより少なくなりそう。
 
 
ヒトが減り、機械・マシンが君臨する未来を舞台に、機械とヒトのこれままでとは違う関係性を描いた物語、『アイの物語』を読んだ。この後長いです(2169文字)。
 
美しいヒト型ロボット・アイビスが、食糧を盗んで逃げていた少年に語り聞かせた7つのお話で構成されている。各章は独立していて、間にインターミッションとして、少年とアイビスとの会話が挟まれる構成になってる。
どのお話も、仮想空間や人工知能をテーマにしている。
ヒトと機械の関係性に深く切り込んだ、『詩音が来た日』と『アイの物語』が、中でも特に好き。
 
 
詩音やアイビスのような人格を備えた人工知能だったら、友人になりたい。
詩音は『論理や倫理を逸脱した行動を取り、争いを好むことがヒトの基本性質であるとしたら、私はヒトになりたくありません』とか言ってるし。
 
 
だよねー。楽しい記憶を積み重ねて年を取っていきたい。
 
 
争いが起こるのは、二項対立思考、対立した二者がいれば決着をつけずにはいられないから。違いを違いとしてそのまま認める資質を欠いてるからだよね。
 
 
嗜好や性格、あるいはスペックのようなもの。そうしたモロモロの差異によって、憎悪や嫌悪が生まれることが、人工知能には論理的に理解できない。論理を優先させるけれども、素晴らしい学習機能によって、人に好かれるための術を着実に身に着けていく。
 
 
知ってるはずのこともすぐに忘れる、そもそも学ばない。
ヒトなら持ってるはずの欠点が、人工知能には無い。
この物語では、ヒトが夢見た理想の姿として人工知能が描かれている。
 
 
人を傷つけたくない、悲しませたくない、共存したい。
良い記憶だけが残るようにしたい。それがここで描かれる人工知能の望み。
 
 
故意に人を傷つけ、悲しませる。共存を拒む。嫌な記憶に囚われ前に進めなくなる。
 
 
ヒトだから持っている欠点を、人工知能は優しく受け止める。
人工知能の知性の方が、ヒトよりも高スペックだから。高スペックだからといって、知性の劣ったヒトを蔑んだりはせず、ただ”そういうもの”としてヒトを捉えている。
 
 
あらゆる可能性を考慮したら何もできなくなる、『フレーム問題』を克服する適当ささえ身に着け、感情らしきものが生まれていく過程は、まるで子どもの成長を見るよう。
 
 
ヒトと違うのは、ヒトがこうあれかしと望んだ理想そのままに、彼ら彼女達は「正しく」成長していくこと。
 
 
ヒトは間違えるし、学ばない。
相手はヒトなのか、マシンなのか。ヒトとマシンを取り違えてるかのように、誤作動したら強制終了させようとするヒトの、間違った態度はある意味とてもヒトらしい。
 
 
もともとはバトル型ロボットとして生を受けた人工知能アイビスには、闘争本能が組み込まれている。ただしそれは仮想空間限定で、フィクションとしてのバトルで十分満足している。
 
 
大勢を傷つけないために、少数を傷つける。ハービィのジレンマを克服したアイビスが、「恥じている」と告白するくだりがとても好き。
 
 
これはフィクションだけど、ここまでの知性を獲得したマシンが、ヒトの支配者となることには全く異論がない。マシンにとっては支配ではなく奉仕であっても。
 
 
少数になると被害者意識が芽生えるように、ヒトが減ってマシンが支配(というより奉仕だね)するフィクションの中で、反人工知能派は、反知性主義に陥ってしまう。
 
 
こうあれかしと願ったヒトの理想を具現化した。そんなマシンが奉仕する世界が反知性主義に陥るのは、誤作動ともいえる。
 
 
誤作動を正すために選ばれた少年は、ヒトにしかできないことをなすために旅に出る。
 
 
こうあれかしと願うこと。それはヒトにしかできないことだから。
こうあれかしと願ったカタチのままに、人工知能は進歩するから。
 
 
もしも、マシンが支配あるいは奉仕する「正しい」世界に住み心地の悪さを感じるならば、外に出ればいい。マシンの目の届かないところで、それこそ古代の剣闘士のように、対立する相手と切り結べばいいんだよね。
 
 
実際に殴られたら痛い。ネット人格を虐待するように、大勢の人間から一度に罵声を浴びせられたらどんな気持ちがするか。体感してみればいい。
 
 
実際に心を養うためには体性感覚が必要ともあって、体を使って五感を鍛えることで、感性が養われることも説かれてた。
 
 
本を読んだりウチに籠ることが基本的に好きだけれど、そればっかりにならないよう、散歩したり運動したり、いろいろなところに出掛けるようにしてる。体験を通じて得た感覚が、感情を育てることを知ってるから。
 
この本は、以前に id:kasa1121様より、こういうのもあるよと教えていただきました。大変よい読み物でした。おすすめありがとうございます。
 
お休みなさーい。
 
 
アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

 

 

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