クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

コンピューターは善し悪し向き

天高く馬肥ゆる。そんな形容がぴったりくる、空気はすっかり秋の一日だった。
半袖だともう寒い。
自主的夏の読書感想文企画のために、乱読中。過去と未来と現在を行き来してると、脳内が混乱してくるのでひと休み。
 
 
コンピューターが「人間並み」の知性を持ち、やがては人口知能の知性が人類を凌駕する。技術的特異点「シンギュラリティ」を迎えた後の世界を描いたお話でも読みたいなーと思いつつ、良書にめぐりあってない。
 
 
人口知能が人類を凌駕する設定、SFだと割と古典的なテーマ。Wikiで『シンギュラリティ』調べても、参考文献がズラズラっと出てくる。シンギュラリティ が夢物語に終わらなくて、手が届きそうな近未来にせまった今だからこそ描ける世界、なんてものが希望。できればディストピアじゃない方向で。
 
 
人口知能の知性が人類を凌駕した世界は、コンピューターが「人間並み」を定義する世界。コンピューターのサポート、アップデートも彼ら自身が行うようになれ ば、そこには人間が介在しないまま「人間並み」が判定される世界が生まれる。コンピューターに良いと認められた人の方が、高い評価を受けたり。
 
 
おお恐ろしい。
 

 

好きか嫌いか、良いか悪いか。好きを定義してインプットよりも、良いを定義してインプットの方が、イメージでは易しそう。
 
 
絶対善、絶対悪から具体例を思い浮かべていって、細分化した後にインプット。そんなイメージ。
 
 
絶対好き、絶対嫌い。そんな状態を定義することの方が、素人目には難しそうに感じる。
 
 
コンピューターによって人間並みでないと判断されたらどうなるのか。良さを積み重ねる文明寄りの判断軸に、好き嫌いという文化寄りの判断軸が混ざることはあるのか。あるいは全く違う方法で、知能を進化させるのか。
 
 
何か突出した才能に恵まれた人が、一方では社会的欠損を抱えてる。そんな例、ヘンリー・ダーガー以外にもいくらでもある。
 
 
突出した才能と「人間らしさ」が相反した時、人口知能がどんな判断を下すのか。情報科学の分野だと、そうした人物が彼らコンピューターや情報科学の進化の源、あるいは親であったなんて、とってもありそう。
 
 
親殺し、言ってみれば上位概念に背くことは悪とインプットされた人口知能は、反社会性を持った上位概念に相当する何かを裁くことはできるのか。あるいはどう裁くのか。絶対すでに思考実験されてるはずだけど、ぴんと来るものが思いつけない。
 
 
考えても答えのない問いに脳内を占領されて、無駄に時間を過ごしてた。
 
 
SF読んでてスゴイなと思うのは、単なるアイデアでしかなかったものが、実際に形になって世の中に出てくること。アイデアでしかなかったものが実社会で使われ出した時には、思考実験済みだからいろんな外堀埋めてるところ。
 
 
シンギュラリティ後の世界を自明のものとして、やがてそーゆー世界が来るよねと本気で考えた人達の考えた世界は、意外とアナログなんじゃないか。
 
 
そう思えてしょうがない。地方で暮らす、小さなつながり、農業。アナログに見える暮らしが、実は超高度に発達した未来社会に最も早く適応した姿なのかも。と、晴れ晴れとしない、ほんとに無駄なことを考えてたら一日が終わった。
 
お休みなさーい。