クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

宝石みたいな

イデミスギノのオーナーパティシエ、杉野英実が出てくるドキュメンタリー見た。結構古いやつ。真夜中に見てると、目の保養になるけど目の毒でもあるのよね。出てくるケーキがどれもこれも宝石のような煌めきで、ほんっとに美味しそうだった。 
 
 
真夜中に、お腹が空いてどうしようもなくなった時。お財布握りしめてコンビニに駆け込みさえすれば、とりあえずお腹はいっぱいになるんだよね。
でも、宝石の欠片を口にしたような至福感とは、全然別物。
 
 
イデミスギノの人、世界のてっぺんに手が届いた人なのに、どうして今でも骨身を削るようにしながら「もっと」を求めるのか。「もっと」にあてられて、見てるとヒリヒリした。
 
 
今どきって、そこそこ美味しいものが世間にあふれてるんだよね。森永チョコボール抹茶味を、さっきも美味しく食べたとこ。
 

抹茶味、濃厚いちご味。お馴染み商品の季節限定品でもじゅぶん「これ美味しいねー」とか言いながら、にこにこできるレベルで有る。
 
 
そ の辺りのどこでも手に入る、そこそこ美味しいのレベルがとんでもなく美味しくなってきたから、世界のてっぺんのレベルをもっと上げないと、世界のてっぺんレ ベルが下がって、誰もてっぺん目指さなくなりそう。てっぺんが遥か彼方にあって初めて、そこそこのレベルもてっぺん目指して切磋琢磨するはずだから。そこそこレベルが世 界のてっぺんにきちゃったら一体どうなるの???って思った。
 
 
イ デミスギノが若かりし頃修行したお店のひとつ、「ペルティエ」って、東京にもお店がある、あのペルティエかな。ペルティエ、フランセスで画像検索すると水 色のリボンに包まれた雪玉風の、何からできていて、どういう種類のお菓子なのか、簡潔に説明するのが難しいお菓子がでてくる。
 
 
あれね、貰うとすごく嬉しい。「きゃーステキー」って、地上から3センチは浮き上がるような昂揚感味わえる。
 
 
チョコボールもアポロも、ラミーも愛してる。生涯変わらぬ愛誓ってもいいくらい深ーく愛しちゃってるけど、でも、「はい、これあげる」って差し出されても、「ども!」で済んじゃって、地上から3センチ浮き上がる芸当は難しいのよね
 
 
「お菓子でたどるフランス史」を読んでると、その時々の余裕のありかがどこにあるのかがわかって面白かった。イタリアからお輿入れしたお姫様は、同時に当時最も洗練されたイタリア風の「余裕」持ちこんで、フランスの文化度アップに貢献してた。
 
 
外国からお輿入れした正妻よりも、寵姫の方が余裕かましてた時代があったり。革命で行き場を失った貴族の料理人が、今度はブルジョワジーに仕えたり、さらに流転して金融資本家のお抱えとなって、才能をぞんぶんに開花させた例もあって。
 
 
マドレーヌや典型的フランス菓子の成り立ち追うだけじゃなくって、その時々の余裕のありかを追うことで、その時代の「文化の担い手」がどの辺にいたのかよくわかる感じだった。
 
 
「そこそこ」が「世界のてっぺん」より売れるなら、「そこそこ」な層こそ最も余裕ぶっこいてるのかも。
 
 
3 年前、あの日からほんの数日後、都内のアウトドア専門店めざしてウロウロしてた。防災グッズ求めて。そんな時に、小さな和菓子屋さん見かけたんだよね。「ホワイト デーの和菓子あります」って、達筆でしたためられた短冊とともに小さなお菓子がひっそりとお店のショーウンドゥを飾ってた。
 
 
「お菓子よりもパン」だったあの時は、結局買わずに通り過ぎた。まさかあんなホワイトデーを迎えるとは夢にも思わず、それでもあれやこれやと考えた末のお菓子だったはずなんだよね。作ってた人も切なかったかもしれないけど、見送る方も切なかった。
 
 
停電、間引き運転、暗くなった駅構内。グラグラと揺れ続ける建物、そのたびに響き渡る非常ベルの音、水漏れ。何を想い出しても神経に触るものばかりで落ち着かない。
 
 
ほんのりピンクと緑色。小さなハート形の、多分薯蕷饅頭。銘は忘れちゃったけど、「早蕨」って名付けたいような風情だった。「お菓子よりパン」だったあの時、もしも見送らずに買って帰ってたら世界のてっぺんに燦然と輝く宝石のようなひと切れを口にした時と変わらない、「きゃーステキー」を味わえたかもしれない。惜しいことしたかもって今でも覚えてる。
 

お休みなさーい。