クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

タイトルの勝利

明朗快活コドモダマシ系がやっぱり好きなんだと実感した、連休一日目ももう日付けが変わってしまった。
 
 
1 本もまともに見た事ないけど、その存在だけはとってもよく知ってる映画といえば「男はつらいよ」。寅さんシリーズですね。これタイトルの勝利だと思うの よね。「女はつらいよ」にも改編可能だし、もっと主語小さくして、「中年男はつらいよ」「中年女はつらいよ」でもイケる。「小学生女子はつらいよ」でも 「中学生男子はつらいよ」でも、あーわかる。わかるわーって共感呼びそう。
 
 
「つらい」って入れとくと、共感呼びまくりなんだよねー。
 
 
映 画「男はつらいよ」は、渥美清演じる愛すべきダメ男「寅さん」が、恋愛沙汰だったり家族間でのもめごとだったり毎回なにかしら巻き起こす騒動を面白おかし く描いてて、最後は必ずホロリとさせる。確かそんな内容のはず。毎回「マドンナ」役として美人女優が登場する趣向になっていて、映画の舞台も寅さんの生ま れ故郷である東京は浅草柴又界隈だったり、テキ屋を生業とする寅さんが旅した日本のどこかだったり、観客を飽きさせないようになってる。
 
いくら飽きないように工夫がされていたとはいえ、1969年から1997年までシリーズ全48作+1の特別編まで続いたんだから、大層息長く愛されたシリーズなんだよね。
 
 
こ んなに長く愛されたのって、「つらい」を謳ってたからじゃないのって思う。つらいと謳いながらも辛さに溺れずに、辛いと口に出したらもう一歩も歩けないよ うな人の代わりに、辛くてやってられないこともあるけど俺がんばってる。そういう姿を描いてたから、ながーく愛されたのかな、と。
 
 
「つらい」の反対語は「楽しい」。この映画シリーズのタイトルが、もしも「男は楽しい」あるいは「男は楽(らく)だ」だったら、そんなに長く愛されるシリーズにはなれなかったかも。
 
 
シ リーズが始まった1969年って、大阪万博の1年前なんだよね。1972年には札幌オリンピックも開催されてる。万博やオリンピックが開催されると、世の 中変わるでしょ。開催地が東京ではなかったにせよ、日本全体がなんとなく浮かれてウキウキしてる時に、そのウキウキとはちょっと距離がある。寅さんのシ リーズに出てくる人って、そういう登場人物が多い印象。
 
 
世の中が進歩、あるいは変化するスピードにきっちりついていくことができない。そんな人達が見ても心地良い世界を描いてたような気がする。あらすじや登場人物像から勝手に想像した独断だけど。
 
 
世の中の進歩や変化を見越して行動できる人はいつだって少数で、少数だから世の中が変わった時に勝者として、多くの果実、報酬を手にしてる。
 
 
大 抵の人は、変化を前にしてモタモタのろのろ、あるいはオロオロしながら、ようやくついていってる。ようやくついていってるから、時には「つらい」と言いた くなる。寅さんも、辛いと言ってしまいたくなるような事態に翻弄されながらも、またモタモタのろのろ歩き出してる。そんな寅さんだから、なんか憎めない。 なんか憎めないから、つらいって口に出してても愛されたんじゃないかな。
 
 
映画の中で寅さんは、「わたくし、生まれ育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」って毎回自己紹介してる。時にはキメポーズ付きで。
 
 
こういう自己紹介の仕方が「仁義を切る」ってことで、映画だとカッコ良くやってるけど、実は結構難しいらしい。古い文庫本、『浅草博徒一代 アウトローが見た日本の闇』に出てた。仁義の切り方を見れば、その人がどれくらいの人間であるか、人物判断のバロメーターにもなってたとか。そんなに大昔でもない、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん世代の浅草でも、今とはずいぶん違う慣習があって面白い。

浅草博徒一代―アウトローが見た日本の闇 (新潮文庫)

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