クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

重力

ゼログラビティ見てきた。連休だけあってえらい混雑。座席予約しといて良かったわー。吹き替えだけど3Dか、字幕で2Dか。迷ったけどせっかくだから3Dに。

 
 
迫力満点で面白かったけど、90分間3D見続けてると、車酔いした時みたいにグッタリしちゃった。映画の内容も、ドキドキしっぱなしっていう刺激の強いものだったから、映画見終わった後すごく疲れた。
 
 
それだけ集中して見ちゃうような内容だった。ともいえるし、サヴァイバルっていう大きなテーマを受け止めるには、自分の器が小さ過ぎたってことかもしれない。
 
 
ハートウォーミングなミニシアター系を好んで見てるから、すごく面白かったけど刺激が強すぎた。こういうドキドキしっぱなしの映画は、もう年に何本も見れないなーって痛感した。DVDならまだしも、映画館の大きなスクリーンだと特に。
 
 
好きとか嫌いとかじゃなく、刺激が強すぎる、感情を大きく揺さぶるものが、もうダメになったのかも。
 
 
この間、インスタグラムで撮った写真を連続コマ送りにしましたっていう映像作品見て、それはちゃんと面白いと思えた。新しい手法を面白がる回路は、多分まだ自分の中で死んでない。それとは別の映像作品も、ちゃんとスゴーイと思えた。
 
 
でも、喜怒哀楽みたいな感情のスイッチを押しまくるような何かに対しては、心のどこかでシャッター下りるようになった。
 
 
この間読んだ『流星ひとつ』の中にあったエピソード。喉を手術したばかりの藤圭子が舞台で歌うのを聞いていた、目の不自由な彼女のお母さんが、「純ちゃん(=藤圭子)の歌をとても上手に歌っている人がいるけど、あれは誰かしら」って言うところがあった。
 
 
精神的な理由だけじゃなく、物理的にも手を加えちゃったから、もう以前のようには歌えなくなった。そういうことがあると、前とは同じになれない。それすごく良くわかる。
 
 
大風呂敷を広げたスケールが大きな作り話、昔から好きだった。でももう、子どものままの目で見たようなドキドキしたりワクワクするような感情、どっかに行っちゃった。前は確かにあったはずなんだけど、今はもうどっかに行っちゃったみたいで見つからない。相変わらず面白いとか楽しいとか言ってはいるんだけど。感覚としては前よりも2割減って感じ。
 
 
細部まで事細かに「こうすべし」とルールが決められた世界で、定型トークを繰り返すルーティンな毎日送ってると、心の底からほっとする。1ミリグラムも感情動かさなくてすむから。
 
 
強い感情をブーストして何かするのは疲れるでしょ。ただでさえ疲れるのに、今日はA明日はB、そんな風にわざと複雑に使い分けたりしたら、もっと疲れるだろーなーって思ってる。
 
 
ふわっふわして、背骨入ってないみたいにヘロヘロして。そんでもって吹けば飛ぶように浅はかで。強い感情動かすくらいならそっちの方がいいなーって感じ。
 
 

お休みなさーい。