クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

「パラークシの記憶」読んだ

途中で行方不明になったりしながらも、のろのろと読み進めてきた本、「パラークシの記憶」をようやく読み終わった。

 

70年代イギリスSFの最高峰とも呼ばれるマイクル・コーニィ著「ハローサマー、グッドバイ」の続編。文庫本にて500頁ほどと短めの長編なので、早い人ならほんとは1~2日程で読了すると思う。

 

前作はSF恋愛小説の最高峰とも呼ばれてるみたいで、恋の行方が物語を大きく左右する辺りは、今作でも踏襲されてる。ややジュブナイルテイストで甘目のお話しなので、ハードなハイテクロノジーを期待する人には多分向いてない。

 

っていうか、そもそもそういう性向の人はこんな可愛らしいカバーの本は読まないだろうとも思うので、ひと目でわかる差別化、とっても大事。「ハローサマー、グッドバイ」の表紙を飾る女の子も、すっごく可愛いい。

パラークシの記憶 (河出文庫)

パラークシの記憶 (河出文庫)

 

 

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

 

 可愛いから並べてみた。

 冬の再訪も近い不穏な時代、村長の甥ハーディは、伝説の女性ブラウンアイズと同じ瞳の色の少女チャームと出会う。滅多に犯罪の起こらない世界で、少年は死体を目撃し、運命は動き出す。迫りくる冬の時代に向けて。

(『パラークシの記憶』本文より引用)

 内容説明を引用すると、こんな感じ。ローテクで、サイエンスというよりはファンタジー的要素の強い太陽系外の惑星が舞台なので、サイエンスともファンタジーともつかない物語に慣れてる人には、大変とっつきやすいはず。

 

続編で、一応「独立した物語として読める」となってはいるけど、前作読んでから読んだ方が、絶対ストレスたまらない。

 

だって、途中何度も何度も「伝説のブラウンアイズとドローヴ」みたいな言い方で、伝説伝説と連呼されるから。「どんでん返し」にしてやられた!という感想以外あんまり詳しく覚えてない前作の内容を、再確認したくてしょうがなかった。(しかし、今も本の山から発掘できずじまい。。)

 

伝説的って一体何なのさ。

 

読んでる間中ずっとそのフレーズが気になっていたけど、「ほとんど決定的とも思えた既定路線をすっかり覆した」ことがそうなのか???と、今は思う。それが「どんでん返し」でもあった訳だけど。その意味で、今作では前作ほどのサプライズには欠けるかも。

 

とはいえ、ただ驚きばっかりを求めてもしょうがないから。

 

冬を迎えるという設定から、ある種の諦念みたいなものの存在をずっと感じながら読んでいた。「ハローサマー、グッドバイ」刊行からずいぶん経って続編である今作が完成し、作者の死後にようやく原書が刊行されていて、作品の中でも何世代という長い時間が流れてる。

 

それだけ時間が経つと、そりゃ個人の価値観にも当然違いが現れるわけで。「生きる喜び」が、スターマインのように爆発してる時もあれば、線香花火のようにボソボソっと光ってる時もあって。冬の迎え方も各人各様であれば、「生きる喜び」をどう感じるかも人それぞれで。終わりの迎え方にも個性が現れる。

 

ハーディとチャーム、あるいはブラウンアイズとドローヴ。彼らの姿からは、ものすごーく率直かつ単純に、生きる喜びが感じられる。だから、年若い恋人達が仲良くする姿は、いつでもどこでも生きる喜びのシンボル的存在として扱われるのかと思う、少女漫画育ち脳。

 

何でも覚えてることは権威に繋がるけど、果たしてそれは幸せへの道なのか。過去を知ることは、知恵や知識の継承には役立つけど、未知な世界と向き合う時には逆に足枷にもなるのかも。「記憶」がひとつのキーワードでもあるので、そんなことも考えた。

 

「おもいでエマノン」を読んだ遠い昔、何でも知ってるけど、ただ知ってるだけ。何にもできないのは悲しいな。。と、思ったことを思い出した。

 

すごいね、エマノン。パラークシ~より遥かに先に、知り過ぎることの功罪をちゃんと予見してる。

 

読んでると、どんどん個人的な思考に流されて、読んでるのか考えてるのかわからない状態になった。個人的には思考のスイッチが入りまくる作品だったけど、今この時読んだのでなければ、きっとまた違う感想を持ったはず。

 

そういう意味では、ただ楽しい、思いがけないサプライズに爽快感を感じた前作よりも、印象深い。個人的な出来事と結びつくから、忘れ難い一冊になることもあるのさ。

 

お休みなさーい。