クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

あしたへは、ダイジなことだけもってゆく。

今日の天気ってどうだったかな。終日バタバタしていて、外出できたの日が暮れてからだから、晴れてたのか曇ってたのか、全く記憶にないわ。

 

三連休はダラダラして過ごす計画、早くも頓挫してる。

 

以前見た映画「マザーウォーター」が、今無性に見たい気分。

京都を舞台にした、もたいまさこ小泉今日子小林聡美なんかが出てた映画。まず舞台が京都ということで郷愁を誘うんだよね。デジャブ感のある景色、時には千鳥足で歩いたような場所がたくさん映るので、嬉しい。あと、リノベしたテラスハウスみたいなのや、中古家具屋さんも登場するけど、それってあのお店やあの辺りかなーと勝手に想像する楽しみもあって。

 

お豆腐屋さん、喫茶店、ウィスキーしか置かないバー、銭湯、中古家具屋さん、そんないかにも街中にありそうな「お店や」さんと、流れる水の音、それに、生活感希薄なもたいまさこ演じるおばあさんが、印象的な映画だった。

 

この映画に限らずもたいまさこ演じるおばあさんって、お洒落だし、生活感希薄で、その辺りにはなかなか居そうにない感じで好き。60歳以上の女性のストリートファッションブログなんかに出てくるような、すっごいお洒落で個性際立ってるような、着道楽おばあさんも素敵だけど、そこまでとんがってる感じはしなくって。

 

そんな年寄りになりたいわけでもないけど、巣鴨辺りにいるようなおばあさんばっかりじゃなくてもいいじゃない、とは思ってる。多分このまま親になることなく、母親の娘のまんま年取ってくので、そんな匂いのする女性が複数出てくる映画だから好きなのかもしれない。

 

親にならない人間が、ちゃんと親やってる人見て思うのは、子どもに対して本気で怒るのは無理ってとこかも。

 

以前住んでたマンションでも、外で会うと素敵奥さんで優しいお母さん風な人が、家の中だとものすごいヒステリックにお子さん怒鳴りつけたりしてた。飼ってるペットまで涙目になるような剣幕で、そこまで本気で怒れるなんて、すごいなーって思いながら、見るともなくそのお宅の前を通り過ぎてた。

 

だって、相手は子どもだよ。圧倒的に未成熟で、色んな経験値足りなくて。叱ろう・怒ろうとするより先に、この未熟な生き物に何か言ってもなーって感じで言葉が続かない。親じゃないから、未熟なままではいかんだろっていう責任感足りないし。きっと親や責任感じる人からは、こってり怒られるだろうから、さらに私が何か言ってもなーとも思うし。それで結局怒れない。相手が明らかに年長の場合はもちろん別だけどね。

 

うちの親、特に母親は口喧しかった。ていうか、今も口喧しい。電話で話してると、生活全般にわたる事細かなお小言聞いてるのが段々嫌になってきて、ほとんど喧嘩腰で電話切りそうになる。実際以前はガチャ切りしてた。どうせガチャ切りしたところで、性懲りもなくまた掛けてくるから全然平気だった。

 

親との縁は、どうやったって切れないから。どうしたって切れない縁なら、仲良くやった方がお互い気持ちいいと思い直すまでは、ガチャ切りしてた。今は、機嫌損ねてはいけない最重要得意先、くらいの気分でアテンドしてる。それでも時々腹立つけど。

 

親になったことがないから、いつでも切れる縁なのに、どうやっても切れない縁なのかと錯覚するようなアプローチには、ポカンとしてしまう。

 

親になったことがなく、今後もなる予定がない。そんな人間が、もしも何かの都合で疑似家族集団と遭遇したら。娘として振る舞うことはできても、年齢相応に、親っぽく振る舞うのは厳しそう。親や親気分の人はすでにたくさん居そうだから、別の物でいいやって感じ。

 

いつでも切れる縁は、どうやっても切れない縁とは違うから。何言っても許されるような、ぶっといものと違ってもっと微かで細くて。そんなモロいものを細々と繋ぐ。それ、結構面白そうだなって思う。

 

お休みなさーい。