クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お伽噺こそリアル

ワンス・アポン・ア・タイムっていうBSの海外ドラマ見てる。

おとぎ話のキャラクターたちが、魔女の呪いによって本来の記憶を失い、現代のアメリカで暮らしているという設定の物語

という、どこに着地するのか皆目見当がつかないところが楽しみで、今シーズン唯一録画してまで追いかけてる。白雪姫の娘が主人公。

 

そういや昔、そんな設定の少女マンガ読んだなー。白雪姫が主人公で、続編は白雪姫の娘にあるまじきお転婆な女の子が主人公で。タイトル忘れちゃった。ストーリーも相当忘れてるけど、絵はしっかり覚えてる。その人の書くマンガ、好きだったから。知ってる人がいたら教えてー。

 

たまに(でもないけど。。)ジュブナイルな世界に触れるとすごくホッとする。世界観わりかし単純にできてるので、シンプルに物事捉えられるから。

 

いつも読みにいってる、まめさん(id:mame90)のブログで、すごく悲しい本が紹介されてた。※記事への言及の仕方がやっぱりよくわからない。わかんないから間違ってるかも。「泣いた赤おに」。こんな悲しい置手紙残されたら泣ける。つーか泣いた。ついでに、拍手喝采したくなるようなハッピーエンドって、やっぱり好まれないんだと思った。どこか欠けた、不完全さを伴ったままの方が、ずっと心に残るから。

 

いくら新しい友達ができたって、そこに青鬼の姿がないんじゃ、赤鬼心から楽しめないと思うんだけど。ずっと何かが欠けたまま、でも青鬼の「遺言」だから、村の人と仲良くするためにそこに留まらなくちゃいけない。

 

赤鬼のために悪役になれた、青鬼が残す遺言にしてはデリカシーに欠けるような気がした。「じゃあね」って、ただそのひと事で姿を消す方が、私には青鬼らしく思える。「じゃあね」の後に続くのが、「またね」なのか「もう二度と会わないけど元気でね」なのか。何も告げず、思うとおりにすればいいよって、あっさり姿消す方がらしい気がする。わざわざ憎まれ役買って出てまで居場所作ってあげるようなお人好しなんだから。

 

だから、赤鬼は案外無害とわかった村人が、でも乱暴者の青鬼が戻ってくると困るから、因果含めて追放して、ついでに青鬼になりすまして赤鬼へのメッセージ張り紙して。そっちの方がありそう。自己犠牲好きじゃん、昔の人って。私は昔の人じゃないからこういうラスト嫌い。仲良しの二人は再び仲良しに戻りました。めでたいですねーの方が好き。

 

赤鬼がそこに留まったのは、遺言律儀に守ってたからじゃなくて、いつか青鬼が帰ってくると思ってたからじゃないのかな。青鬼が帰ってきた時には、鬼そのものがもうさほど珍しくもなくなって、ついでに一人くらい増えたところでどうってことない。そのくらい鬼の無力化進んだ世界になったら、シレッと帰ってくるのかもって。案外遠くに行った青鬼の方が「人間」っぽくなり過ぎちゃってて、そうとは気付かないまま、なんかこの人よく似てる?とか思いながら、話してたり。

 

お伽噺、解釈の余地がいろいろあってやっぱり楽しい。ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」も、そういや誰も信じないホラ話っていう落としどころだったな。誰も信じないホラ話なら、また別のストーリーもありそう。

 

あーついに週末がきた。結局大して何もしないまま週末迎えてしまった。うわーどうしよう。というわけで、片付けにかかろ。

 

お休みなさーい。