クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

挿絵画家

晴れてるけど肌寒い一日だった。

夏によく見た入道雲はすっかり姿消して、鰯雲やおぼろ雲みたいな、秋を感じさせる雲がきれいで見てて飽きなかった。ハンドル握りながらだから、そうそう脇見運転もできなかったんだけど。

f:id:waltham70:20130928150548j:plain

 

今東京では藤田嗣治展やってるんだね。真珠を肌に乗せたような、乳白色の婦人画像が魅力的で、好きな画家のひとり。画家本人もかなーり個性的なたたずまいで、興味が尽きない人。

 

ついでに「茶の本」で有名な明治期の美術史家・思想家である岡倉天心も、かなりぶっ飛んだ、道で会ったら腰抜かすレベルでの奇行の持ち主だったみたいで、傑物を常識ではかることの無意味さ、みたいなことをつくづく感じちゃう。

 

藤田嗣治は「乳白色の画家」として有名だけど、挿絵画家(挿絵本制作者)としてもたくさんの作品残してる。結構前だけど、フジタや同時代に活躍したエコール・ド・パリの画家たちが手掛けた「挿絵本」を集めた展覧会観に行った。

 

挿絵画家って、今で言う「絵師」「イラストレーター」なんだよね。そんでもって、この時代の挿絵本ってすごくおしゃれだった。

 

今だと文章とイラストは、はっきり別ページに分かれてるけど、眠る女性を描いた上に文章重ねてたり、文章とイラストを一体化させたりしてた。フランス語読めないからわかんないけど、多分ストーリーに合った絵を描いてるはず。その発想の豊かさが、まず素敵だった。

 

どんな物語に添えられた挿絵なのかって解説もあったけど、大抵悲恋だったり艱難辛苦に大冒険乗り越えて、みたいな”通俗的”なストーリー展開のものが殆んど。主人公の名前と基本設定ちょっと変えたら今の日本でもよくお目にかかるタイプのもので、通俗的なものって普遍なんだなーって、感動した。

 

フジタは挿絵ばっかり書いてたわけじゃないし、ビアズリーとか、物語とセットでその絵が思い浮かぶ画家って案外いる。それって、最初期のメディアミックスの姿だったのかも。相乗効果でより広く一般の人にも知ってもらおー的な。

 

フジタの場合は物語の方は失われてるけど(実は本国では知られてるのかもしれないけど)、ビアズリーオスカー・ワイルドとセットで記憶されてる。

 

今どきに限ったことじゃないけど、ジャケ買いする本ってある。天野喜孝といえば吸血鬼ハンターDだし、鶴田謙二ならエマノンだし。松尾たいこといえば「奇想コレクション」シリーズだし。

 

東京の弥生美術館で、武部本一郎展やった時観に行ったけど、結構年配の人もたくさん居て、ものすごく懐かしそうに展示品に見入ってる姿が印象的だった。ガラスケース撫でんばかりにして、じーっくり見てた。私が彼の絵を知ったのは「火星のプリンセス」シリーズが初めて読んだSF本だったからで、まだ子供だった。でも、年配の人達にとっては青春を一緒に過ごしたシリーズだったんだろーなーって、その懐かしそうな姿見て思った。

 

通俗的で、正統派じゃなかったし、時には周囲から眉ひそめられたりして。それだけに思い入れって強まっちゃうし、そこはもう仕方ないよね、と。これ以上まとめられないからここで止めにしとこ。お休みなさーい。