クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

渋茶すすりたい

通勤用に新しく買った靴をさっそく履いてみた。デザイン重視で選んだから、そんな予感はしてたけど、やっぱり靴擦れになった。昔に比べるとなぜか足縮んできて、確実にワンサイズ小さ目選ぶようになった。

 

馬鹿の大足、間抜けの小足っていうから、あぁ私って間抜けなんだって思う。中途半端のろくでなしも捨てがたいけど。とりあえず、ぴったりサイズの靴選ぶの難しいのよねー。

 

高学歴・低学歴って、ちょっと前まで喧しかった。婚外子の相続差別で若干色めきたって、次はきっと「一票の格差」で盛り上がろうとするんだろうなーって予想してる。その時用に今からとっておきの文章用意する、とっても準備のいい人もいるんだろうなーとも思ってる。

 

高学歴・低学歴で、色んな人が(多分)色んなこと考えるものねーと眺めながら、

ートリートメント切らしちゃったから、髪の毛パッサパサ。週末美容院行かなきゃって考えてた。

 

ナチュラルボーンKYだから、高学歴・低学歴ってことさら言い立てることで何か生活の質って向上するのかなって考えたけど、あんまそういうの思いつけなかった。

 

低学歴の世界はこんな感じとか、高学歴の世界はこんな感じとか。ゴシップ的な興味満たされるだけで、通勤電車の中で誰かが読んでる夕刊フジでも覗き込んだみたいだった。そうじゃないのもあるけど。そうじゃないのは、ちゃんとブックマークしといた。どうせ夕刊フジ読むんだったら、クッシーを観た!みたいなUMA発見ニュースの方が楽しいわ。

 

がんばって勉強して高学歴の世界に入っても、文化的資本の差に愕然みたいな話を聞くと、そのためにサークルや部活があるじゃんって思う。時間に余裕があって(対社会人比)、場合によっては練習環境整ってるうちに(弓道みたいな競技だと、専用練習場は学校くらいしかないから)、好きなことやってみればって環境が用意されてる。子供の頃からやってる人には適わないかもしれないけど、経験の差を埋めるような場所が提供されてるはずなのに、そこスルーなんだって思った。

 

それに、今はそんなオールドタイプの文化資本に頼らなくても、今どき文化資本の楽しみ方もきっちり用意されてそう。

 

そういう言葉はあんまり好きじゃないけど、階級上昇果して今までとは違う世界に、学校(主に大学)や会社から入ってくる人がいるなんて、そんなの昔からそうで、今に始まったことじゃないじゃん。今に始まったことじゃないどころか、これからの方がますますそういう、色んな出自の人と協働する機会は増えるばっかりだと思うけど。

 

自分よりすごい経験してるものすごい経歴の人に会ったら、「わーすごーい」だし、大変な経験してる人なら「大変でしたね」だし。

 

初めて東大卒の人と話した時は緊張した。(その時は最高学府=東大だったから)。言葉の端々から知性が零れ落ちるようで圧倒された。なんてことはなくって、案外普通なんだと思った。ただ、同じ所から同じ物眺めてるはずなのに、一人だけ見晴らしのいい高い所に居て、遥か遠くまで見通してるような事言うから、視点・視野の広さが全然違うんだなーって感動した。

 

新卒で入った会社には、大変毛並の良い人に混じって、たまにとんでもない人居たんだよね。その人生、まんまドラマになるよ!ってくらいのハランバンジョーっぷりで。私自身も「イロモノ」採用枠だから、人のこと言えないけど。見え難いだけで、みんな色々あるよってことを、大層若いうちから知ることができてほんとラッキーだった。

 

話聞いちゃったら壮絶過ぎて、もう何にも言えないわって時もあって。そんな時に立て板に水で次々と言葉が出てくることが、いいことかどうかもわかんない。

 

そんな取り立ててすごい何かが無かったとしても「そんなもんですよねー」だし。語彙少なくても結構やってこれた。リアルで顔の見える距離だったら、言葉は達者じゃなくてもいいんだと思う。ただ、顔が見えない人と話すのって本当に難しい。顔が見えない人と、話さねばならんのかっていう、葛藤を乗り越えるのも大概だし。

 

渋茶すすってのんびりほっこりしようと思っても、環境の方が変わってくから、追いつくの大変。