クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

耽美派でも読んでみればいいじゃない

真・善・美で腹がふくれるかよって思う時に感じる疎外感も、真・善・美唱え過ぎて白眼視される時に感じる疎外感も同根だと思うよ。
白でも黒でもないグレイな層が、一番分厚く世の中覆ってるんだから。


ちゃんと文学学んだことない。ただ楽しみのために本読むのが好き。映画見るのも好きだけど、途中でやめられる、中断するハードルが低い分、本読む方がお手軽。面白ければそれでいいの。

文章が好きで、物語が好きで。自分が感じる面白さを追及してたら色んなジャンルに精通しましたって人、きっといると思ってる。
ただその中で、語りやすいものに特化しただけなんだろうなっていうの。


怒羅権とか、世露死苦とか、あるいは光宙(ぴかちゅう)みたいなキラキラネームに魅せられる人なら、喰わず嫌いせずに耽美派だって楽しめるよ、きっと。(っていうか、ほんとはもう既に読んでるでしょ。)


だって、頁めくったらなんかキラキラしてる。近頃だともしかすると、煌びやかな漢字をひら仮名にひらいてしまってて、その煌びやかさが損なわれてるかもしれないけど、なにしろ非常用漢字が豊富だから。

耽美派の代表・谷崎潤一郎が描いた、「痴人の愛」や「春琴抄」なんて、めちゃ変態ちっく。サドでマゾで鬼畜だし。


気持ち悪さと紙一重なのに、「気持ち悪い」で本閉じちゃったら負けと感じるような「果ての世界」を描いてる。そこまでいったらおしまいな世界だから、目に焼き付けておこうって気にもなる。


日本かぶれな外国人が好んで読むといわれる「陰翳礼讃」みたいな随筆だって、ずいぶんな事書いちゃってる。

「玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう」とか書いて羊羹褒め称えてる。

 

ひどい。クリームと羊羹の絶妙なコラボレーションから生まれた羊羹パンとかクリームあんみつ(あんこも羊羹も似たようなものだし)食べたことなんだわこの人、とか思っちゃう。つらつら読んでいくと、単に変な薀蓄くさいおじさんじゃないのっていう感想が一番強いんだけど、谷崎先生おすすめの食べ方で羊羹食べたら美味しいさ三倍増しになりそう。


変を極めて、現代源氏物語細雪」まで到達すると文豪になっちゃって、いつのまにかまごうことなき権威になっちゃってるの。極めずに中途半端で終わったら、やっぱり単に変な人だったかも。


耽美派じゃないけど泉鏡花の「外科室」も好き。あれ物語中の出来事を時系列で書き出していったら、「まじっすか」っていう感想にしかならない。その「まじっすか」っていう驚きが強烈過ぎて、忘れられない物語になってる。とても短くてあっという間に読めるのに、驚き大きいからコスパ高いわ。

純粋でまっぐで、若さって怖いわ危ないわ、立派な凶器なんだってよくわかるのが、三島由紀夫の「奔馬」。豊饒の海4部作中、シリーズ2作目。輪廻転生扱ってるし、なんかよくわかんない使命感や焦燥感にじりじりさせられる、危ないお話し。

子供の頃からいろんなよくできた「お話し」に触れて物語慣れしてないと、何か変なもの憑いちゃいそう。

 

面白いを追及していったら、高尚だろうが、下世話だろうが、色んな方面に手が伸びるものだと思ってた。高尚だから退屈とか、下世話だから顧みる価値なしとか、そこで線引いちゃうのは面白いを見逃がして損しそう。