非常識って悪目立ちすんだなーって、今さらながら思った。
道具として使いこなすより前に、道具様に使われて疲労しそうだったから、
いいこと思いついた!っていうひらめきを実行に移したら、どうやら不評みたい。
素朴な疑問として、Twitterが無かった時はどーしてたんだろう???
フープロばっかり使ってるから、すっかり微塵切り下手くそになりましたみたいな気持ち。やーね。
80年代女性アイドル論読んで、そういや同時代の男性アイドルってどんなのがいたかなーって考えてみた。50人くらいの内輪ウケを踏まえつつ、100人以上のもっと大勢に楽しんでもらえるような、そんな高度なテクニック持ち合わせてないから、ただ想い出したこと書いてみよっと。
アイドルってこういうものかーと初めて認識したのが「たのきんトリオ」。
小学生でした。マッチこと近藤真彦派と俊ちゃんこと田原俊彦派に分かれてた。
トリオなのに、野村のよっちゃんは印象薄かったです。スルーあるいはパスって感じ。もの知らない子供って残酷ね。ほんとはギターがとても上手な彼だったのに。
たのきんの後がシブガキ隊で、悪ガキそのものだったようなヤックンが、
後年「はなまるの人」と呼ばれ、ポストみのもんたの最右翼(勝手な思い込み)に
つけるとは、誰が想像したでしょうか。モックンこと本木雅弘がアカデミー受賞俳優になったことより驚き。フックンはあの優しげな風貌で、それなりのファンを獲得してたような気がする。
その後、ジャニーズからは少年隊・光GENJIと男性アイドルグループが次々に登場してた。私の知る限りでは、光GENJI嫌いを公言する男の子比率結構高かったよーな気がする。男闘組がキライっていう声はあんま聞かなかったんだけど。その差はどこから来るのか、不思議ねー。ただ、80年代の終わりって高校生くらいなんだけど、もうその頃にはアイドルってかなり廃れてた。
今どきの高校生なんて、親戚の子ぐらいしかサンプルないんだけど、クラスの女の子はみんなジャニーズ大好きって言ってて、私の頃とずいぶん違うなーって思う。
男性アイドルで強烈に覚えてるのは、やっぱりチェッカーズ。
三人しかいないグループのうち「誰が好き?」って聞かれても、選びようがないよーって逃げられた。でもチェッカーズだとメンバー多いんだよね。こんだけサンプル(7人プラスアルファくらい?)あれば、誰か一人くらいタイプいるでしょって。
修学旅行の恋バナみたいなもので、誰が好きか、言うまで話の輪に入れないからねって。そういう圧力感じるくらい、熱狂的なファンがたくさんいたんだよね。
音楽に関しては割といつも受動的で、これいいよって言う人が居たら「貸してー」って言って、テープだったりCD貸してもらってた。高かったしね。子供のお小遣いで買うには高かったから、友達から借りてた。音楽に関しては借りること多かったけど、そのかわり本(小説貸してって子は少なかったけど、マンガはいっぱい貸してた)を貸す係りだった。
そうやって貸してもらったテープやCD,或いは本なんかを返す時には「お手紙」付けてた。貸してもらった〇〇良かったよ、△△も好きーとかものすごくしょーもないことばっか。
今どきのお子様がLINEに熱中するように、お手紙書いて交換し合ってた。
さすがは折り紙の国の人だものっていう、摩訶不思議なオリジナルの折り方にこだわってたし、可愛いかったり変わった便箋一生懸命探してたし、蛍光ペンとか色鉛筆とかでがんばって見栄え良くしてた。
無駄に楽しい時間たくさん過ごしちゃったから、おかげで今も無駄な事大好き。
チェッカーズ大人気だったし、アルフィ-大好きな子もいたし。サザンやオフコース、YMO、TUBU、ハウンドドッグ、BOOWY。思い返したら、アイドルよりもアーティスト、バンドが好きって子の方が多かった。聴くだけじゃなく、実際にバンド組んでる子も多かった。そういう子は海外のロックバンドとかコピーしてた。海外アーティストやライブハウス出身みたいなの書き出すと、キリがないから割愛。
お兄さんやお姉さんが居る子は大人っぽい音楽を聴いてたから、フュージョンっていうジャンルがあるのを初めて知ったのも、そういう子を通してだった。カシオペアやT-SQUARE聴いて、ジメジメと湿っぽい日本みたいな島国で、そこだけカルフォルニアみたいな突き抜けた明るい音楽作るのすごいって思った。
あの頃は単にSQUAREだったけど、聴くよりも弾きこなせると快感覚える曲なんだよね。メロディーライン複雑な方が面白いって思い出すと、変拍子の曲が良くなってきて、その辺からJAZZ聴くようになった。今でも、この譜面はきっと訳がわからんと思うような曲好き。
思えばアイドルから始まって、ずいぶん遠くへ来ちゃったなー。明日も涼しそうで、何着ていこうか悩ましい、寝よ。