根が単純にできているので、嫌なことがあったり落ち込んだりした時には、
秘蔵の「落ち込んだ時用My名言集」を引っ張り出す。
単純だから、色んな人が言った「うまい事言うもんだね」リストを眺めていると、
だんだん平常心が戻ってくる。
つ いでにコミック”ちはやふる”で、主人公のちはやと前クィーンのユーミン対戦中に、形成不利なユーミンを励そうと彼女のお師匠さんが思い余って試合中に 声掛けしてしまうシーンを思い出す。
お師匠さんの言葉で「単純な人みんな励まされちゃったんですが。。。」
となるところがかなり好き。
そ うなの。
激しく落ち込んでる時だって、励まされるのはなにも友人・知人の言葉とは限らなかったりするんだよね。欲しい時に、気持ちが前向きになるような” いい事”言ってくれたら、それで十分だったりするんだよね。
だから、そういう面ではSNSってすごく便利な時がある。ものすごい量のフレーズが行き来して るから、「何この今の気持ちにぴったりな言葉っ!」ってなることもあるから。あ、だから名言bot多いのか。
その反面、叱ったり相手の痛い所をつく嫌な言葉を受け入れてもらうには、
相応の関係性がないと馬の耳に念仏の可能性大。
例えば、リアルに顔突き合わせて仕事してる上司が部下を叱る場合、
その叱責には大抵意味がある。
クライアント、あるいは上層部からの理不尽な要求に対する怒りをそのまま部下にぶつけるような、そんな感情の爆発を別にすればの話だけど。
同じ組織だったら、「今期の目標〇〇」みたいに共通の目的がはっきりしてる場合が殆んどだから、その目標に照らした「君の行動、あるいには成果ってどうなの?」っていう前提条件が、少なくとも共有はされている。叱責の根拠がはっきりしてる。
だ から、叱られたらムッとするし面白くないけども、無茶苦茶なこと言われてない限りは、受け入れざるを得なくなる。
「そうはいってもできないもんはできない し!」って、叱られる側が反発するのも目に見えるようだけど。
あと、叱る・叱られるという間柄に、上下関係があった方がより簡単。
フラットな関係性だと 「そういうお前はちゃんとしてる訳?」っていう反発心から、きっとそんなに簡単に納得してもらえない。「あなたのためだから」っていう言葉はうさんくささ満点 だし。下手したら、どっちが上かわからせてやるって、
嫌な言葉のやりとりだけ先鋭化して、当初の目的はきっとどこかにいってしまう。
そ もそも同じ組織に属してるわけでもない。
長幼の関係や、あるいは習熟度みたいなスキル差もわかりずらい。
評価基準(この人すご~い!と思うポイント)も違 う。
そうした関係性が薄かったり、無かったりした場合、叱ったところで、
思うような効果は期待できないので、多分あんまり意味がない。
何で叱られるのかわからなくて「ぽか~ん」となるか、
どうして叱られるわけ!?って「どっかん」と爆発するかなので、
叱責から始まる関係性ではきっと恋なんて生まれない。
恋に限らずどんな関係性も生まれないよね。