クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

得する方を選べ

最近のことはちょっと置いといて。ある時期までは、何かを決める時には「得する方を選べ」に従ってきた。

 

理性と感情が対立したら、感情を優先させる方。理性で感情を殺せるほど理性的ではないから、感情に従っておかないと、あとで自分が困るので。

 

感情優先とはいえ、「得する方を選べ」も念頭に置きながらの選択だったから、滅茶苦茶大損したということもない。金のつづらと粗末な木のつづらがあったら、金のつづらを迷わず選んできた。

 

持たざる若者にとって、「清貧」の思想は毒薬。持たざる者の矜持として、なんだか美しい響きもあって甘美に聞こえるけど、若者だったら可能性も未来もあるんだから、もっとガツガツ欲張った方がいい。

 

日本でも「三代続いたらジェントルマン」はある程度真実で、ガツガツしてない人の頑張らない生き方の背後には、豊かなバックグラウンドが隠されている可能性も大アリ。なので、ライフスタイルにかかわるオピニオンは、「オピニオン」のセールスマンによるセールストークの可能性もあると、鵜呑みにはできない。

 

何にだって値札のつく世の中では、「オピニオン」だって立派な商品になるのさ。

 

体力と気力のあるうちに、いちどはパーティーピーポーな生活も垣間見るか経験しておいて、その上で合う・合わないを決めればいい。

 

経験したうえで「いらない」と言えるものだったら、あとでみじめったらしくひと様のライフスタイルに文句をつけることもなく、他人事として心穏やかに過ごせるから。

 

若かりし頃と違って、今の自分にとっての「得」は、日常を邪魔しないもの。確固たる日常を壊さないものが自分にとっての「得」だから、何かを選ぶ時も、ガツガツする必要がない。

 

得の意味は、年代や個性といったものによっても変わってくる。金銭的利益は万人にとっての得とは限らないから、わかりやすく金銭がインセンティブになっている方が、使い勝手がよくて重宝されるんだろう。

使い勝手がいいように振る舞っていると、金銭があとからついてくる。そんなのはじゅうぶん承知だけど、使い勝手よく振る舞うメリットが著しく低いから、ヤル気も極小。

 

かといって資本主義社会では、貧乏神は嫌われ者。お金スキーを全面に押し出しておかないと、「他人の悪口を言いながら食べるご飯がいちばん美味しい」あまり、お金と縁の薄かった人種が寄ってきてしまう。その辺のバランスなんだな、要は。

 

お金スキー、あるいはお金とってもスキーで、金銭的見返りなき人に誓う忠誠心の持ち合わせは、なしってことで。人的つながりも、あってプラスになる場合とマイナスになる場合があるのさ。

 

お休みなさーい。

シェアできない

インターネット原野商法ということばが脳裏をよぎる、今日この頃。原野商法について、無知の人もそろそろ増えてきたからか。

 

美味しいものの話をしていた。

 

ある土地の名物となっている魚。塩焼きの状態でサーブされ、ある程度食べ進めたところでいったんお皿が下げられ、残った身(骨の周囲とか)をこそげたものをご飯に混ぜた、混ぜご飯が美味しかったとのこと。

 

えっ、何人かで一緒につついて食べた魚。誰かの箸がつついたかもしれない魚の身を、ご飯に混ぜるの!?と、美味しさよりもそっちが気になって美味しそうに思えなかった。

 

一人ひとりにサーブされるのではなく、結構大きな魚だったので、数人でひとつの魚をシェアする形だったらしい。

 

鍋の後の雑炊と一緒だと言われたけど、家族以外の人と囲む鍋もノーサンキュー。

 

大皿に盛られた食べ物、例えばパエリアなんかを数人でシェアすることはよその国でもありそう。その場合でも、個別にそれぞれの取り皿に取って食べる姿しか思いつかない。

 

誰かの口に入った、箸やフォークやスプーンなどが直接触れた食べ物を複数人で食べる習慣、日本以外にもあるのだろうかとふと疑問に思った。

 

温泉のようなお風呂も、見知らぬ人と一緒に入る。スパやサウナは海外にもあって、水着着用のところと水着なしの場合と、ケースバイケースだけど、パブリックなほど水着着用率が高くなるような気はしてる。

 

もしかして日本、見知らぬ他人とのシェア率、もともと異様に高いのか?

 

シェアエコノミー、海外由来かと思ってたけど、ルーツはもっと泥臭いところにあったりして。

 

よそはよそ、うちはうちときっぱりと個が確立されてない。もっと他人との境界が曖昧な界隈で昔からあった共有の概念を、イチかゼロかのデジタルな領域に持ち込んで、カッコよく名前をつけてみた感じ?

 

正当な対価を払う商業世界に、境界が曖昧な界隈の人の善意を持ち込んだら、起こるのは価格破壊。正当な対価だったら入手不可能な、不当あるいは不相応に立派なものが手に入る。そうまでして不当あるいは不相応に立派なものを手にしたい、根拠がなぞ。

 

対価が払える人なら、相応の対価を払う。払えないものは、手に入らないとあきらめ相応のものを手にする。

 

世の中もっとシンプルでいいと思うんだけど、魔法のツールさえあれば簡単に手に入るかと錯覚させるのが、ゼロイチのデジタル世界なのかも。罪だね。

 

お休みなさーい。