アメリカがユネスコから脱退する背景には、イスラエルにパレスチナ、中東問題といったセンシティブな問題があるらしい。国よりも豊富な資金を持ち、時には国の政策にも口先介入する、文化・教育・科学振興に興味関心の強い巨大企業がもしあれば、代わってくれてもええんやで?と、持ち掛けられたらどうすんのかしらねぇ、と渋茶すする。
パリ協定離脱に続いてのユネスコ脱退で、どちらも「国」にしかできないことなんすかね?との疑問が、ふと浮かぶ。元政治家やハリウッドスターに、著名起業家も熱心じゃん。
国は国にしかできないこと。誰もやりたがらないことにこそ注力したいと、国が言い出した時、この手のロビイストっぽい人達はどう反応するのか、見てみたくなるやね。ポケットマネーで生涯やり続けたら、それはそれで尊敬する。
メリル・ストリープ。今はどうか知らないけれど、毎年夏になると、自腹切ってNYなどの公園で、誰でも見ることができる無料の演劇イベントを開催し、だから彼女は業界人から尊敬されているんだと、聞いたことがある。
公園や広場を使った無料の野外イベントが、NYやボストンなどでは夏の風物詩だった頃。教えてくれたのは、私立大学で演劇を教えていた講師とか臨時教師とか、そんなポジションの人。英会話を習ってた。
ギャラが桁違いだと、“自分を豊かにしてくれてるものへのお返し”も、桁違いで太っ腹。
桁違いのギャラが可能にする世界は、そりゃ成功への階段も登り甲斐があっただろうけど、今はどうなんすかね。glee/グリーや、glee/グリーでブレイクした俳優の早過ぎる死とか見てると、昔よりもっと狭き門になってそうで、時の運の大きさにこそ思考が飛ぶ。
キラキラとして、魅力たっぷりなよき面だけを存分に見てたら憧れも募るけれど、地獄面しか見てなかったら、憧れなんて育ちようもない。
時の運は、キラキラとして魅力たっぷりなよき面が、より身近でリアルに感じられた経験のこと。運・不運とかそういうことじゃない。
国よりも、国境を越えて生きていける個人や企業の方が強くなった時、国の宝を守るのは、国と個人と企業。一体誰がいっちゃん信用がおける守り人となるんすかね。
前衛的なアートよりも、滅多に人も訪れない場所にある、仏像や仏塔により心惹かれるほう。海外だったら、聖堂とか教会とか。
こんな辺鄙な場所にあるのに、それでも何百年も前から、守り伝えようとしてきた人が居たのかと、守り人のバトンリレーみたいなものにより感心するし感動する。
新しいもの、前衛的なアートには、守り伝えようとする何かよりも、瞬間的な何かの方が多分に多くて、そもそも瞬発力に欠ける質だから、あんまり心惹かれないんだな、と自己分析してる。
お休みなさーい。