クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

銀行マンと独立系映画産業の蜜月を描いた『ハリウッドがひれ伏した銀行マン』見た

銀行マンと映画産業。

 

一見食い合わせの悪い両者がコラボしたら、どちらのビジネスも大変潤うことになったとさ。1980年代の独立系映画の隆盛を、金融面、お金の面で支えた人物にスポットを当てたドキュメンタリー。

 投資あるいは投機から融資へ

投資と投機の違いは直感的にわかるけれど、投資と融資の違いは直感的にはわかりにくい。一般的には投資、あるいは投機(つまり博打やな)と見なされがちな映画ビジネスに、融資の手法を取り入れ、資金回収と運転資金の借入を共に容易にする手法を編み出したビジネスマンが主人公。

 

オランダの中堅銀行に勤めるいち銀行マンが、なぜ映画ビジネスで成功することができたのか。を、彼の長女がインタビュアーとなって当時を振り返る趣向になっている。

 

長女がインタビュアーとなって、オランダ人銀行家フランズ・アフマンと交流のあった人々、アフマン本人あるいはその妻(つまりインタビュアーにとっての母親)も含め、ゆかりのある人々のインタビューで構成されている。

 

だからアフマンのビジネス面だけでなく、父親としての姿も映し出される、公私に迫った作品。ほんの時折映し出される“父親“としての姿が思いがけない感動を呼ぶので、家族ものとしても見られるドキュメンタリーになっている。

 

同時に、彼が金庫番として手掛けた『キングコング』のようなふっるーい映画も同時に映し出されるので、オールド映画ファンにとっても意外な発見があるかも。かもかも。ジェシカ・ラングなんて、久しぶりに見たよ。。

 

ハリウッドの有名スターが、我も我もと彼と仕事したがった

さてこのアフマンという人、オランダのナンバーワンでもない銀行から、ハリウッドでは超有名な金庫番になった人。

 

スーパースター、といっても当時のなので、今となってはさほどネームバリューがなかったりするマイケル・ダグラスケビン・コスナーも彼と一緒に仕事をし、スーパースターから逆にサインを求められていた。融資実行書へのサインの方が、より求められてたには違いないけれど。

 

ハリウッドで、スーパースターから熱心なオファーを受けるほど求められる人材となったのは、彼が映画製作に安心して取り組める、“プリセールス”と呼ばれる安全な資金回収スキームを作り上げたから。当時とては新しい手法で、だから重宝がられた。

 

メジャーと呼ばれる巨大映画会社に資金供与する金融機関はいても、独立系と呼ばれる小資本系新興映画会社に喜んで資金を提供する金融機関は、きっと今もそう多くない。

 

アフマンはニッチな市場を取りに行き、ニッチな市場での成功をステップに、勤務する銀行がクレディ・リヨネという国際的にメジャーな銀行に買収されても、金融界で生き残ることができた。クリエイティブ投資部門での責任者として。

 

脚本がすべてだった

映画製作というと巨額の資金が必要となりそうだけど、アフマンはそのすべての費用の面倒を見ていたわけじゃない。完成品と製作品を分け、いわば試作段階の製品の運転資金を提供していた。

 

試作段階で融資が実行されるから、完成品には超ヒット作、『氷の微笑』や『ターミネーター』あるいは『キングコング』に『ダンス・ウィズ・ウルブス』といった有名作も含まれるけれど、B級映画も多い。

 

ヒット作にはなりそうもない、B級映画にも資金供与の道を開いたことが大きくて、玉石混淆で900本もの映画に投資するなかで、映画を見る目も磨かれたのか。

 

映画のなかで、投資の決め手は何か?という質問に対しては“脚本がすべて”と答えていた。

 

そもそもアフマンは、教養ある家庭に育ったインテリ男性。品があった、オランダ人らしく威厳があったと彼を形容することばには、ハリウッドで活躍する業界人とは真逆の形容詞が並ぶ。

 

ハリウッドで金庫番として知られるとともに交友関係も派手になり、結局はそれが仇となって足元をすくわれるけれど、それでも金融家というラインは超えずにいた人。映画を愛しながら、最後まで映画産業そのものに染まることはなかった人だからこそ、きっと新しいスキームも生み出せた。

 

賄賂より会計報告書

ハリウッドの名士が集うパーティで、分厚い茶封筒を渡されたアフマンは、一体いくら賄賂をもらったのかと噂されたけれど、その実中身は会計報告書だった。

 

という、作中のエピソードが好き。

 

銀行家として十二分に成功を収めた人間が、少々分厚い札束を前にしたとしても、なびくわけがない。いかにも銀行家らしい、銀行家であることにプライドを持っていたアフマンらしいエピソードで、彼の人となりがよく現れている。

 

だから一緒に仕事をする人は選び、品がない人は嫌った。

 

品がないうえに、陳腐な脚本しか持ってこなかったら願い下げ。冷酷とも言えるそんな態度も、いかにも銀行家らしい。

 

成功だけを描かず下り坂も描いている

映画ビジネスに新しいスキームを持ち込み、映画産業を盛り上げた、アフマンの人生のハイライトともいえる前半部分もいいけれど、いろいろあって失脚したその後も味わい深い。

 

むしろ意外な感動は、人生下り坂部分に落ちていた。

 

インタビュアーがアフマンの実の娘、遅くに生まれた唯一の女の子であるところがポイントで、アフマンと交流のあった人々が彼女に率直に語るのは、アフマンが単なるビジネスパートナーを越えた存在だったから。

 

単なるビジネスパートナー以上の存在だったから、伝えるべきことを伝えるためだけに、彼らは語らずともよいことを語る。

 

ビジネスを越えた存在だったから、ビジネス目的では語らないし、語れない。アフマンが知られざる存在だったのは、そういう人物だったってこと。

 

時には忙し過ぎて、家庭を顧みる暇もなかったけれど、人生の下り坂ではちゃんと迎えてくれる、帰るべき家庭を持っていた人。ちやほやされて調子に乗ることはあっても、引き際は心得ていて、家庭や家族を大事にする、当たり前の人。

 

映画産業には“当たり前ではない人”もウジャウジャ居そうだけど、“当たり前ではない人”に大多数の“当たり前の人”の気持ちはわからない。

 

アフマンが関わった映画作品には、結果として後世に残る名作が多数含まれているのは、きっとそのせい。

 

アメリカ映画界が巨大産業に成長するなかで、当たり前で居られた人ももう当たり前では居られなくなり、きっと今は往時とは違うスキームが出来上がっている。

 

映画界といえば、監督やプロデューサー、あるいはアクターなどクリエイティブな人にスポットが当たりがちなところ、資金面から支える銀行マンにスポットを当てた珍しい作品。

 

今では巨大産業となったアメリカ映画界にも、まだ隙間があった。ほんの一瞬の、短いけれど濃厚な季節を切り取っていて、面白かった。

 

お休みなさーい。

便利の代償

夏真っ盛りで夏祭り真っ盛り。

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なのに、夏休み真っ盛りではないところが色々と不幸のもと。

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しょせん、日が沈めば今の季節でも上着が欲しい北国なんで、暑さがストレスになることはなし。暑さ、猛暑がストレスになる場所では、どうだか知らね。

 

50代前半で親が大正生まれだと、遅くに生まれた末っ子か。

 

大正最後の年生まれでもまだ90歳代。「まだ」と言えてしまえるところが高齢化社会で、昭和前半生まれの人に、時代についてきてもらうのは、大変さ。

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 ついてきてもらうのは大変だから、もっとも接点のある場所から否も応もなく変えてしまい、強制的についてきてもらうくらいしないと、きっと無理。

 

病院とか、スーパーやコンビニとか。

 

文字が大きくて、お年寄りにとっての使いやすさをアピールした携帯があったように、機能を限定した使い方サポート付きタブレットを通販サイトで見つけた。どこの製品かは知らないけど、わりと安かった。iPhoneiPadより圧倒的に。

 

どこのサイトで見つけたか思い出せず、追加でアプリが入れられたかどうかは定かではないけれど、「機能限定」だからこそ老親にだって薦めやすい。

 

これから初めてスマホタブレットを触ろうとする人に、何が適切で何が適切ではないかを説明するのは、難しすぎる。だったら最初から出来ること、機能を限定し、安全な範囲で使ってもらう方が安心さ。とは思うけれど。

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kindleで読んでる本は、最初から「著者が重要だと思う箇所」にハイライトがつけられていて、くだけたテーマの本なのに、まるで教科書でも読んでるような気分になれる。

 

最初からハイライトされていると、重ねてハイライトしようとは思わないところがポイント。

 

ココ重要と思った箇所に、自らハイライトを引く行為は能動的だけど、あらかじめハイライトされていれば、受け身になる。

 

テレビであるセリフだけ切り取られたテロップ、前後の発言や文脈を無視して編集されたTwitterまとめのように、そこだけ読めば十分なピンポイントを繋げれば何らかの感想文ができてしまうのなら、布教っぽい。教科書的でもあるけれど。

 

そもそも肩の力を抜いて、軽く読み流せる読み物。格闘するつもりなんて毛頭ないけれど、布教があからさまだとちょっと引く。

 

ちょっと引くけれど、他に読みやすく噛み砕いた類書に乏しく、主張は強いものの、そこまで害にもならなさそうだと、まぁいいやとなってしまう。

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面倒なことを他にやっている例がなければ、多少の難はあっても任せてしまう害。一利一害ってことで格安タブレットも、気が付けば健康食品や便利グッズの、便利な広告宣伝ツールに化けてそうで、そこは懸念事項。

 

面倒なことを他人に任せると、大抵ろくなことにはならんわな。

 

お休みなさーい。

お口直しにドリュー・バリモア

怖い夢を見た。

 

視界いっぱいに『リング』の呪いのビデオのようなノイズ入りの画面が広がり、縦書き、ポップとは極北にある恐ろし気なフォントで“たすけて”というメッセージが流れるというもの。怖くて一瞬で目が覚めたわ。

 

夏にホラーはつきものとはいえ、見たいのはそれじゃない。ドリュー・バリモアの映画で口直し。ドリュー・バリモアのキュートな笑顔は、どんよりとした気分を掻き消してくれるお薬のようなもの。あるいは快楽ドラッグか。

 

『2番目のキス』

まず選んだのは『2番目のキス』。原題は『Fever Pitch』で、ドリュー・バリモア演じるキャリア女性が、熱狂的な野球ファンの男性と恋に落ちるお話で、ボストンが舞台。

2番目のキス (字幕版)

2番目のキス (字幕版)

 

 あらかわいいと思わず声に出して言いたくなるほど、この映画のドリュー・バリモアが飛び切りかわいい。髪型のせいかファッションのせいなのか。容姿端麗な人はいくつになっても美しいけれど、それでもやっぱり30歳前後のドリューは、もっとも魅力的。

 

さてボストンのフェンウェイ・パークを本拠地とするボストン・レッドソックスは、熱狂的な野球ファンを多数抱えてることで有名な球団。阪神タイガースとそのファンと思えば、大体合ってる。

 

ドリュー・バリモア演じるリンジーとは、社会見学がきっかけで知り合った高校の数学教師ベンは、レッドソックスと共に育ち、レッドソックスを心から愛する熱狂的ファン。

 

優しくてユーモアがあって人当たりもいいベンだけど、何かに熱狂してる人、オタクっぽい人が往々にしてそうであるように、レッドソックスが絡むと暴走する人。

 

ベンの部屋は、グローブ型の電話を筆頭にレアなレッドソックスグッズがいっぱいで、レッドソックスと共に歩んできた人生なことが丸わかり。レッドソックスに少年の心を託しているせいか、時々年齢不相応に無邪気な面を露わにする時があり、キャリア女性のリンジーの心を鷲掴み。

 

ベン、ビジネスライクなコンサルティング業界には、まず居ないタイプだからな。

 

何かに夢中な人、熱狂してる人というのは、往々にして他者からは理解しがたく、リンジーの父親にも「バカだな」と言われてしまうベン。それでも相手の懐に入ることも上手で最後には気に入られてるんだけどさ。

 

コンサル勤務のキャリア女性と高校の数学教師という格差恋愛でもあるけれど、それよりもっと大きなハードルとなるのは、ベンが熱狂的すぎるレッドソックスファンであること。

 

仕事が恋人のリンジーにとって、恋人がレッドソックスのベンならある意味お互い様で済むけれど、家族、夫婦になろうとすればどうなのさ。というところが悩みどころ。

 

レッドソックスこそわが人生なベンは、フェンウェイパークに集う同志にもリンジーを紹介済みで、熱狂的レッドソックスファンの間でも有名人なベンの恋の行方は、同じくレッドソックスファンにも周知されている。

 

リンジーとベンの仲が迷走するとともに、ベンがおじさんから相続したシーズンチケットの行方も迷走し、周囲のレッドソックスファンも気が気じゃない。レッドソックスこそわが人生な、貴重な同士をひとり失うかもしれないんだから。

 

恋人の間は多少変わり者でもお互いさまで、大目に見られたことも、家庭を持ち、家族が増えたらどうなるの???少年の心を残したままなところが魅力のベンから、レッドソックスという少年成分を取り上げたらそれで済むのか。

 

という恋の行方は、何かに熱狂している人が、とっても安心する結末を迎えるようになっている。

 

レッドソックスがお前に何を返してくれる?」と、ベンに大人になるよう諭すシーンがあったけれど、「それでも彼らは毎年僕たちの前に帰ってきてくれる」というセリフが、めっちゃいい。

 

レッドソックスの本拠地がボストンにある限り、ジェントリフィケーションで年々歳々ボストンの街の姿は変わっても、彼らはファンの前に帰ってくる。

 

シーズンチケットを買ってスタジアムにまで足を運ぶ、熱狂的ファン心理が言い尽くされていて、こことっても好き。

 

別に野球ファンでもドリュー・バリモアファンでなくても、何かに熱狂してる、してた人ならきっと、心の琴線に触れまくるハッピー・ムービー。歴史的瞬間を見逃して取り乱すベンの姿もまた、熱狂的ファンの一面さ。

 

『ラッキー・ユー』

こちらは、ドリューらしいキュートさや溌溂さはごく控えめ。プロのポーカー・プレイヤーと恋に落ちるシンガー・ビリーを、ドリューが演じてる。

ラッキー・ユー (字幕版)
 

 ラブストーリーだけどそれよりも、のるかそるかで勝負の世界に生きるチーバーの生き様や、同じ道を歩んだチーバーとその父親との確執が見どころ。

 

はっきりいってビリーとの恋は刺身のツマ(というよりは、も少し伏線となってるけれど)みたいなもんだから、この映画のドリューはびっくりするほどその魅力が封印されている。彼女が輝くと、主人公チーバーの生き様が台無しになるからな。それもやむなし。

 

チップという名の大金が動くプロポーカーの世界、あるいはその試合が面白くて、思わず途中で居住まいを正してしまった。

 

ポーカーの試合、めっちゃ実況向きですわ。

 

のるかそるかで人生を賭けるような局面でしか本気出せない人種というのは確かにいて、プロのポーカープレイヤーも間違いなくそのひとり。安全パイだとやる気も起きなくて、博奕になったら本気出すんだよな、こういう人。

 

『ラスベガスをぶっつぶせ』という映画や本があったけれど、この映画の主人公チーバーは高等数学とは縁のないタイプ。実戦で培った勘と運を頼りに勝負に賭ける、ある意味古典的な勝負師で、チートとも無縁。

 

映画の中の世界大会で、「初めてカメラが入ります」的なセリフがあったけれど、プレイヤーにしろディーラーにしろ、いかさまが横行していた時代は、古典的勝負師にはきっと古き良き時代だったんだろうと思わせる。

 

同時に、ギャンブルをやらない代わりにマネーゲームを嗜む人はそれなりにいるけれど、高等数学やテクノロジーに習熟しているとお金に換えやすい世の中で、元手も豊富なその種の人たちが本気でマネーゲームに参入してきたら、場が荒れる。

 

ゲーム、遊びのつもりでも大金が動くようになったら、実体経済に打撃となるから、紳士淑女の“クリーンな遊び場”として、合法カジノを求める理路はありかもしれないとちょっと思った。ほんのちょっとだけ。

 

それはともかく。

 

この映画の見どころは、何といってもポーカーの試合シーン。複数名が同時にプレイし、ここぞと思ったところで、相手をコールし、一対一の勝負に出る。

 

勝負に出たところで上がる歓声、勝っても負けても拍手とスタンディングオベーションで観客が見送るスタイルで、大金が動いているにも関わらず、何だかとっても爽やかなんだ。

 

日本ではポーカーの試合そのものの実況が少ないけれど、きっとやったら面白い。

 

複数名が同時にプレイし、ディーラーの配る手札がゲームを支配する。あらこれAIが苦手そうなシチュエーションじゃないですか。すでにポーカーのトッププロにAIは勝利してるらしいけど、各種あるポーカーのスタイルの中の一種に勝利したに過ぎないとか。カードゲームの奥は深い。。

 

『ラッキー・ユー』では、勝負の場面に各プレイヤーの人生が乗ってくるから、観客としてはより楽しめるし興奮する。

 

人生が乗ってない勝負は、興奮も感動も乏しいから白熱しない。

 

その理路はわかるけど、テーブルにつくのは、納得済みのプレイヤーだけにしとけ。理由もルールも聞かされていない観客を、無理やり引っ張り出すのはマナー違反も甚だしい。説明済みだと嘘なんかつくから、人生破滅すんだよ。

 

破滅と背中合わせだから、本気出せるのはある種の狂人で、しばしばギャンブラーと歌姫が恋に落ちるのは、彼らは同じ世界を生きてるから。どちらも、のるかそるかだから相性よしで、ある種古典的な組み合わせ。

 

ドリューは刺身のツマだけど、それでいい映画。“プロポーカーの映画”としか思ってなかったら、見なかった。面白かった。

 

お口直しのドリュー・バリモアで、気分もリフレッシュ。8月もマイペースで、自分のために好きなことを書くだけ。

 

お休みなさーい。

ナンセンス

人は集団になると、悪いことも平気でできるようになる。だから、悪い集団となるな。よき集団をめざせと、昔々の恩師に言われたことがありまして。

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よき集団であろうと努力されていた教師陣が揃っていたので、今では昔の面影はすっかりなくなっちゃったけど、当時はいい学校だった。春ともなると、着任した新任の教師が口々に、「この学校に勤務できて光栄です」と、お世辞でもなさそうな熱心さで語っていた。

 

同時期の他校の様子を思えば、向上心のある生徒の熱意には、ちゃんと応えてくれるいい学校だったおかげで、塾などのお世話になることも極小で済んだ。

 

進路補習という名の無償奉仕のおかげで、予備校の模擬テストで予期せぬ好成績を取った時は、わがことのように喜んでくれた。

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(赤い花はモナルダ。またの名は、ハーブでおなじみベルガモット。)

私が学生だったふた昔前は、伝統校がゴロゴロいる中での比較的新設校で、新設校ならではの「いい学校になったるで」という意欲が、まだ枯れてなかった頃。おかげで大人になった今でも、よき教師に恵まれたと感謝しかない。

 

メディアは嘘をつきやすくて、頭のよさや優秀さよりも、集客力だとか使い勝手のよさだとか。別のベクトルで選ばれた人の意見が場合によっては目につきやすいから、油断ならねぇ。

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分厚い札束でぶっ叩けばいろんなものがひっくり返って、どれが本当かわからなくなるけれど、目の前で見た上から数えて何番目の人のことは、やっぱり信用してる。目の前で見た、上から数えて何番目の人が、褒めた人のことも信用してる。

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立場はいろんなものを重くするから、その人たちはもう、軽々しいことは言わなくなったし、言えなくなった。

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 ペラペラ色んなことを赤裸々に話せるのは、立場のない人間だけ。

 

人は集団になると悪いことも平気になると知ってる人は、集団から距離を置く。早い遅いにかかわらず、とにかく遠くへ行きたかったら、結局はひとりの方がいいんじゃないの。

 

遠くに行った後で、みんなと離れてひとりになりたくなったら、どう縁切りするのさ。金の切れ目は縁の切れ目で、気前よく手切れ金を払えば払うほど、縁もきれいさっぱり切れるのか???

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物理的にひとりになることは難しくて土地に縛りつけられていても、精神的にひとりになろうと思えば、技術が解決してくれる。情報収集を目的に使ってるツールに割り込んでくる人がいれば、遠慮なくブロックしたりミュートにぶち込んでる。

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 勝手にステマの踏み台っぽく使われたり、ひとりでいると弊害もあるけれど、だからと言って目的が違う人とはつるめない。

 

めざすもの、追及したいのはただひとつ。脳内がパカパーンと花開く瞬間だけさ。究極の選択で、エログロナンセンスからどれか一つを選べと言われたら、迷いなく「ナンセンス」を選ぶ。究極の選択だから、ナンセンスしか選ばない。

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お休みなさーい。

原油価格はなぜ乱高下するのか『石油を読む』読んだ

2017年2月に刊行された第三版。石油あるいは原油まわりの基礎知識とシェール革命も織り込みながら、最新の事情まで追った一冊。”石油がなくなる詐欺”にも、これを読んでおけば騙されない。

石油を読む〈第3版〉 (日経文庫)

石油を読む〈第3版〉 (日経文庫)

 

 読んだのはkindle版。

 

 著者は独立行政法人経済産業研究所に属す、エネルギー政策のエキスパート(らしい)。新聞や雑誌への寄稿も多い、「サハリン沖に眠る天然ガスをパイプラインで日本に輸送」しようぜと主張している人。

 

この本も、乱高下する石油業界を詳細に論じつつ、エネルギー政策上の提言として、最後には「ロシアと日本をパイプラインで結び、サハリン沖の天然ガスを輸入しようぜ」に着地する。

 

その提言のよしあしはともかく。

 

原油価格の乱高下は、今後も続くのかという一般人の素朴な疑問にも応えていて、学びが多かった。なんせこの分野についてはなーんも知らんから。なーんも知らんけど、原油先物価格WTIはニュースではお馴染み。

 

映像のインパクトはやっぱり大きくて、今年(2017年)の春先にはサウジアラビアの国王がアジアを歴訪し、豪華大名旅行を繰り広げた記憶も新しい。原油国、やっぱり金持ってんな。。と思いきや。

 

その内情は火の車で、シュワルツェネッガー知事が財政非常事態宣言を行ったカリフォルニア州や、経済破綻したギリシャ並みにやばいと知れば、相当やばい。

 

そんなに財政がやばいのなら、お金の使い方変えればいいじゃない?とはいうものの、そう簡単にはいかないのが中東湾岸産油国の事情で、石油というモノカルチャーに頼り切った経済システムの怖さも露呈する。

 

そもそもこの本を読もうと思ったのも、タイトル買いした『石油の呪い』に触発されてのこと。

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こちらは貴重な天然資源に恵まれ、恩恵をたっぷり受けるものの、社会システムには「呪い」となってふりかかり、かえって有害となることを書いた本らしいんだけど、難しすぎた。途中でギブアップしてる。

 

『石油の呪い』よりも数段やさしく書かれた『石油を読む』のおかげで、モノカルチャーに頼り切って自縄自縛となりつつあるサウジアラビアの姿がよく理解できた。

 

サウジアラビアを筆頭に、湾岸産油国が今後も経済成長を続けようとすると、原油価格の高止まりが必須。そのために彼らOPECは「減産」を外交カードに用いるけれど、減産による原油価格高騰で実体経済にダメージを受ける原油輸入国はたまったもんじゃない。

 

たまったもんじゃないから取引先の多様化を願ってせっせと油井を掘り続けた結果、中東湾外域外でも石油が生産できるようになり、湾岸産油国のシェアも低下した。

 

現在、世界最大の産油国はアメリカ。世界最大の石油消費国でもあるアメリカが、最大の産油国へと変貌したのはシェール革命のおかげ。

 

アメリカのエネルギー自給率を押し上げる形となった、シェールオイル、その掘削装置“リグ”は、原油価格の高騰、高止まりに絶妙に蓋をする。

 

シェールオイル単体で見た時の生産性その他云々かんぬんについては毀誉褒貶があるけれど、原油価格が高騰した時にこそシェールオイルは真価を発揮する。

 

バターが品薄かつ高過ぎて手が出なければ、マーガリン、あるいはオリーブオイルで代用しようとするのが、庶民の知恵。

 

マーガリンあるいはオリーブオイルにあたるのがシェールオイルで、その品質にも値段にも特に不満がなければ、バターが安価で市場に出回るまで待ちますか?いいえ待ちませんし、待てません。

 

ZOZOTOWNのセールス価格に慣れた今、デパートで定価で買いますか?デパートに勤務する従業員の生活を守るため、生活必需品の不足あるいは高騰に耐える義務が、顧客にはあるんですかね?しかもその従業員は怠惰で、1時間くらいしか働かないくせに高給取りときたもんだ。

 

というのが湾岸産油国原油価格とシェールオイル、ならびにサウジアラビア国民の極端なごく一部の姿で、こうなったら普通の企業は潰れてもおかしくない。

 

デパートの場合、たいていは駅前や繁華街などに位置し、そのエリアのランドマーク的存在かつ集客装置でもあって、存続は地域にとっての問題でもあるんだけどさ。

 

企業と違って国(しかも天然資源が豊富なだけに、厄介なんだ)が潰れてしまっては困るから、起死回生のマジックとして期待されているのが、「サウジアラコムの株式公開」で、その企業規模は、中国のアリババの4倍規模(2015年5月期の数字)と、これまた景気がいい。

 

日本円に換算するのもめんどくさい、とにかくゼロがいっぱい1千億ドル規模の、株式公開に伴い転がり込んでくるはずの大金をもとに政府系ファンドを起ち上げ財政再建サウジアラビアの)にあてるっていうんだから、捕らぬ狸の皮算用、ここに極まれり。

 

めざすは上場ゴールかい。。と、再生可能エネルギーの可能性こそ強く支持したくなるけれど、結局エネルギー政策は政治マターでもあるから、「他国のお家騒動」を鎮めるための打ち出の小槌を、何も自分とこで振ることないわなという現実路線を行くのが、トランプ政権なんだってさ。

 

振り回されたくなかったら、距離を置くのがいちばんで、最大の産油国でもあるアメリカが、サウジアラビアのお家騒動に付き合う義理も義務もないわな。

 

過去のオイルショックの話や、テクノロジーの進化によって原油掘削の技術も進み、埋蔵量も激増して石油枯渇は神話になりつつあるといったくだりは、素直に読み進められるけれど、眉に唾する箇所は確実にある。

 

そもそもエネルギー政策の話は政治マターで、市場がないあるいは機能していなければ政治の出番で、政治に頼るしかない。

 

不透明な要素が多過ぎで、サウジアラコムの企業価値を図る重要な要素、サウジアラビア原油埋蔵量についての信憑性は、いったい誰が保証、あるいは裏書するんですかね。

 

後半になるほど政治マターの話が多くなり、経済的要素の石油とその来歴、例えば掘削についてのくだりに興味がある者としては、読み進めるのが苦痛だった。政治、さして興味ないから。

 

暖房、あるいは家庭のエネルギー源は、石油かガスかIHか。どれがいったいお得???という興味からどんどん遠く離れていって、最後「日ロ間をエネルギー・インフラでつなごう構想」にまでたどり着くからめまぐるしい。

 

アルマゲドン』では、ブルース・ウィリスベン・アフレックも、石油採掘会社で働いていた。『アメリカンドリーマー 理想の代償』では、石油業界の“下流”でのし上がろうとする男性が主人公だった。最大の産油国アメリカは、とにかく掘りまくってもいるという印象は、データでも裏付けされた。

 

もっとさかのぼれば『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と、リアリティとファンタジー要素が適度に混ざり合ったフィクション向きの職業として、石油掘削会社勤めの人間はフィクションにもよく登場する。

 

そこから派生した興味を『石油を読む』の前半部分は満足させてくれるけど、後半の政治マター多め要素になると、国際政治に興味を持って追い掛けていないと、辛い。

 

とにもかくにも一応は公平さや透明さが担保された市場に慣れ切っていると、政治に頼らざるを得ない業界の話は、非民主的で後進的であるとさえ思ってしまう。

 

政治に頼りたくなければ、市場をつくる。あるいは、より公平で透明な市場へと場所を替えるに限る。

 

読後感として強く抱いたのは、そんな感想。

 

石油業界まわりの話はパズルを解くようで、不透明さもあればこちらを選べばあちらが立たずといった、ボラティリティに満ちていた。論理的思考にどっぷり浸かりたい人向け。複雑だからこそ、この業界に魅せられる人が居るんだろうな、ということも痛感した。

(今はこんな特集記事もkindleで読めるんだね。めっちゃ安い。) 

映像のインパクトは大きいけれど、今やOPECやメジャーに昔日のようなパワーはなし。オイルマネーで先進未来都市という砂漠の薔薇。花咲く日は来るのかしらねぇと渋茶すする。

石油の呪い――国家の発展経路はいかに決定されるか

石油の呪い――国家の発展経路はいかに決定されるか

 

 序文にある一文でゲラゲラ笑った。でも全体として難解。難解だから、ゆっくり読む。

 

お休みなさーい。

恐らく世間は景気がいい

資産運用報告書を眺めていると、心に平穏が訪れる。

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並んでるデータがみごとに右肩上がりだと、絶景や名画や素晴らしい美術品を見た時と同じくらいかそれ以上の多幸感にも包まれる。よい買い物をしたと、自分で自分を褒めたくなる。

 

絶賛右肩下がりだと、そんな呑気な感想も出ないんだけどさ。

 

その種の報告書関係には、端的に言えば世間の一部が凝縮されていて、報道で知る細切れな業界や業種情報よりよっぽど読み応えがあって興味深い。

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 物知りかつわけ知りで、世間をいいように転がすことで対価を得ている人の言葉よりも、“こうありたい”と望む本人たちの言葉の方が、説得力もマシマシ。

 

お金出さないと手に入らない情報が、オープンな市場で誰でも売り買いできるんだから、市場は偉大。市場がなければ売り買いもされず、どんなにいいものであっても、人に知ってもらうこともない。

 

ゲームもギャンブルもやらないけれど、そのかわり「雰囲気で」、損しても痛くない範囲で遊んでる。たまにしか動かさないから、遊び。動きの鈍い中小小型株は、売りたい値段で売るのが難しいと知ってからは、あんまり手を出さないようにしてる。

 

クラウドファンディングや、手は出してないけどソーシャルレンディング

 

市場ができたから、世の中に知られるものも増えて、遊び感覚でそこに資金を突っ込んでいる層は確実にいる。勤労者からすると噴飯ものだけど、お金、あるところには勝手にたまって、出口を探してる。

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 以前『マネーの狂わせた世界 金融工学者の苦悩と挑戦』というドキュメンタリーを見たけれど、社会の最上辺にいる人たちは、悲しいほどにリーマンショックサブプライムショックも関係なかった。

 

仕組みを作った人たちは、また新たな仕組みを作る能力のある人たちだから、ダメージを負ったとしても回復も早くて、さほど傷つきもしてなかった。贖罪もしてたけどさ。仕組みの中にいる人たちやもらい事故で巻き込まれた人たちは、回復も鈍くて、悲しいほどに格差が凝縮されている番組だった。

 

一般的な株式市場で売り買いできるのは、上場した銘柄に限られるから、例えば地方都市住みローカル視点だと、地方都市への上場による経済波及効果は感じにくい。

 

どう考えたって、上場とか無理じゃん。という業界や業種が厳然としてあるから。ついでに“地方の雄“ともなれば、借りて下さいと金融機関の方から頭下げにくるくらいだから、資金調達にも困ることはなく、市場に頼ることもない。

 

クラウドファンディングも、いろんなプロジェクトが乱立するようになって、何らかのインパクトがないと、スポンサーも集まりにくい。

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特徴も特長も乏しいんだけど、事業やってます。という、もっとも多いクラスタの資金調達は、資金獲得手段が増えてもやっぱり厳しいまま。その場合、恐らくバルクでひとまとめになるのが正しそうではあるんだけどさ。

 

抜きんでた技術や何かがあればともかく、事業継続の肝は結局は取引先でスポンサーだから、取引先やスポンサーが見つけられるか、関係性を継続できるか否かがすべてで、それが出来なかったら先行きは厳しい。

 

世の中にはお金が余っているとはいうけれど、社会を変える人から順番に分配されていくものだから、さしてインパクトを与えない事業だと、後回し。あるいは、順番さえ回ってこない可能性もあり。

 

何が言いたいかというと、スポンサーは大事で、スポンサーの最小単位がファンだから、ファンより自分たちの方が大事な人は、多分商才に欠けている。

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商売してて、それあからさまにするのはナシね。

 

お休みなさーい。

狸は有名人

先人が築き上げてきた知の集積が、音を立てて崩れていく。

 

傑出した才能を持つひと握りしか生き残れない世界よりも、凡百の人間でも生き残れる世界をめざすのは、圧倒的に正しいやね。

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(今年も狸が空を飛ぶ季節がやってきた)

飲食店が比較的多いエリアに住んでいる&生活圏にしている。

 

ステキ!おしゃれ!と思うお店もそうでないお店も、続々とオープンしては、いつの間にか店名が入れ替わって違うお店になっている。昔の名前、オープン当初の名前でやってるお店は、やっぱりメディアへの露出が多いお店。

 

桃栗三年柿八年で、三年程度で開花定着するための準備として、開店当初に肥やしとして多めにメディアに露出して、その後はゆるゆるっと世間に認知されるのを待ってる感じ。待てないお店は、あっさり他のお店に変わってる。

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食べ歩きっぽく、行ったお店の記録をブログに書いていた時期もあったけれど、そろそろ閉店したお店の数の方が多くなってきたような気がする。なので最近はその手のお店訪問記、書くのを躊躇している。

 

気軽に偵察に行けるほど近くに住んでいると、本当に繁盛しているお店なのかどうかはよくわかる。予約必須の人気店でも閑古鳥が鳴いてる時期は確実にあって、しょせんは地方都市の悲しさで、お客さんが足りない。

 

街、あるいはエリアごとのキャパシティーは絶対にあって、キャパを越えて飽和し始めると、開店から閉店までのサイクルが短くなる肌感覚あり。だから新しく作るより、「同じ場所だけど違うお店がやってます」みたいな、中身は変わってるけどとりあえず何かが食べられる場所は、だいたいいつまでもそのまんま。だったんだけど。

 

そもそもテナントが入っていたビルが古くなりすぎると、その限りでもなくなってきた。

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目立つエリア、駅前のビルは次々と建て替えられ、新しくてきれいで便利な場所にあるお店が増え過ぎた。道内資本とは限らない道外のチェーン店も増えて、隠れ家っぽいお店を珍重するようなこだわりがなければ、客としてドライに振る舞えるそっちの方がいい。

 

客が客として楽しめない場所に、お客さんなんて来やしないが持論なので、常連が常連にしか通じない話題で盛り上がっているお店は居心地が悪い。

 

ある程度の都市になると、客が客としてドライに振る舞える場所の方が居心地のよさを感じる層は絶対に居て、彼らはドライな空間にお金を落とす。

 

ウェットな空間のウェットな人間関係にもためらいなくコミットしてFOしていくのは、転勤や就職といった「上がり」が待っている層。「上がり」というゴールを持たずにウェットな関係性に巻き込まれると、面倒が待っている。

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ドライな空間を作ろうと思うとそれなりに資本を必要とするので、駅前の目立つ場所にあるお店はやっぱり資本の大きなお店に限られる。経営の近代化とドライな空間はセットで、「中の人」にとってもドライな方が、なにかと都合がいいはず。

 

ドライな場所が嫌になれば、ウェットな場所に移ればいいだけのこと。ウェットな場所からドライな場所への移動も、スムーズに行けばなおよろし。

 

古くからある個人商店が次々にお店をたたんで、“昔の面影”は年々薄くなる商店街だけど、飲食店を中心に新しいお店が増えてきた。ドライ&ウェットがほどよく融合した空間になるのか、それともここもやっぱりウェットに偏るのか。

 

とりあえず夏の夜の狸小路商店街は、一年のうちでもっとも魅力的な場所になる。北の街なのにアジアンな雰囲気が濃厚になって、ちょっと無国籍風。

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この狸、相当数の観光客が嬉しげに記念撮影していて、世界全体でこの狸はいったい何万枚撮られたんだと、カウントしたくなる。

 

さして怖い思いをせずにぶらぶら街歩きが楽しめる、旧市街の雰囲気も濃厚な場所。日本にはそういう場所が多いけれど、それわりと希少よな。

 

お休みなさーい。