クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

進まない断捨離

今だかつてお目にかかったことはないけれど、この世の中には抹茶やいちご、あるいはメロン味などのバリウムくらい、あってもいい。

 

多くの人が、不便だと感じていることが解消されるのが進化なら、もう少し飲みやすく進化していても良さそうなのが、バリウムタブレット型に圧縮して、胃の中で膨張とかじゃダメなのか???

 

要するに、バリウムが嫌い。好きな人なんて、いないんだろうけどさ。

 

125年ぶりの猛暑なら、罪悪感なく扇風機からエアコンへとシフトできる。今日も暑かった。。

 

暑くなると、「さっぱり」とした「茶色い」おかずが欲しくなる。こってりとかトローリとか、鬼門。暑い季節には、イヤ、絶対。

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(ネギやミョウガでわかりにくいけれど、ナスとオクラと生麩の炊き合わせ)

さっと油で焼き付けた野菜や生麩を、甘辛しょうゆ味で煮たもの。冷やしても美味しい奴で、そのまま素麺のつけ汁にもなる奴。

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(蕗と厚揚げと鯖の水煮を炊いたもの)

見た目ごっつい悪いけど、白いご飯とよく合うおかず。

 

レシピの書き起こしでもしようかと思ったところ、制作過程の写真が抜けていたり、肝心の出来上がり写真を撮り忘れていたりで、予定変更。一週間に一回くらいは、書き起こしときたいもんだわ、断捨離かねて。

 

オバサンになってもミニスカートの似合う人が増えて、女性の実年齢がますますわかりにくくなる今日この頃。女性の実年齢は、顔より手に出る。顔見てもいくつだかわかんない人でも、手をみれば大体年齢相応(あと首、デコルテもそう)。

 

いつまでも若々しくてファッショナブルな、有名女性タレント。先日テレビに手が写った時に、想像以上に加齢が如実に現れていて、ちょっとショックだった。すでに孫も居る人。そりゃ年取るわけだ。。

 

年齢が手に現れるということは、働き者の手ということで、アシスタント任せにせず、自分でも手を動かし続けた人なのかという、別の感慨もあり。

 

人のことなんて、実はどうでもいいんだけどさ。

 

断捨離を進めようと空の段ボール箱を用意するも、肝心の中身はちっとも埋まらず。捨てる前にもう一度読み直してからとの執着が、作業遅延のもと。

 

電子書籍化されていれば、まだ諦めもつくものを。どう考えたって、今さら電子書籍化の希望も需要もなさそうだから、諦めがつかない。

 

例えば1990年初版の新書。バカンスのシーズンになると、毎年北から南へと、三千万人が移動するとの記述には、今はもう失われつつあるかつてのヨーロッパの姿が濃厚で、なんだか捨てるに忍びない。

 

毎年アフリカから万単位で移民が北進(アフリカからヨーロッパに向かうんだから、北進でいいでしょ)する今のヨーロッパでは、夏のバカンスとは無縁の人も増えてるとか。

 

夏になると、バカンスのたびに民族移動レベルで南進していた昔のヨーロッパと、北進めざして万単位で移民が流入し、そのおかげでバカンスもままならない人が増えた今のヨーロッパは、まったくの別もの。

 

まったく別のものだとわかるのは、比較対象として、昔のヨーロッパを記述したものがあるから。

 

みんなが知ってることについて書かれているものであれば、ポイポイ気軽に捨てられる。今さらもう、そうたくさんの人が知ってるわけでもなかろうと思うと、取っておきたくなるこの気持ち。この気持ちは、さてどんな名前で呼ばれるものか。

 

例えばとってもお偉い、司馬さんちの遼太郎さん。

 

硬軟取り混ぜた著作の数は膨大で、大河ドラマを始めとして、ドラマの原作となったものも多数あるけれど、中には感じの悪いエッセイもあった。

 

もとの本はずいぶん前に捨ててしまったから、今さらもうタイトルも思い出せないけれど、そのエッセイの中で、ガサツで、いわゆる良家の奥様らしくないある女性のことを、とことん馬鹿にしていた。

 

面白い女性だと持ち上げる態で、その実その女性の一挙手一投足を小馬鹿にしてた。

 

貧しさから売春に走る女性を救いたいと言い募りつつ、自身は問題提起するだけでまったくその女性に関与することなく、何とかして欲しいと繰り言だけを述べる若い男性に辟易とし、失望したというエピソードを、別のどこかで語りながら。

 

記憶に残っているのは、巷間で伝え聞くその人のキャラクターとは、相容れないようなエピソードで、ちぐはぐな印象を与えたから。ちぐはぐで、“らしくない”と引っ掛かったから、よく覚えている。

 

色で喩えた時に、淡―い淡色かすかにグレーみたいな印象の人が、ある一節だけビビッドなショッキングピンクだったら、そこだけ別人みたいで何だか変だと思う。

 

ある本が電子書籍化された時、記憶の中の原本と違って戸惑うだけでなく、その種のおかしなこと、記憶と相容れないことがある。確かめたかったら原本にあたるしかなく、なんとなく証拠保存のような気持ちでふっるーい本が捨てられない。という言い訳。

 

歴史は勝者が作るものとは言うけれど、アナログからデジタルへの切り替えというタイミングは、捏造するにはもってこいで油断ならねぇ。と、思う程度には疑い深い。

 

『ねじの回転』を読んで、関連書籍を読んだ時の開いた口が塞がらない系の衝撃とか。この世には、不思議なことがあるもんだ系の出来事、デジタルでは修正されてるのかしらねぇ、と渋茶すする。

 

お休みなさーい。

夏が来た

ここは富良野か美瑛かと見紛う、田園風景。

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しかーし、ここは石狩。振り返れば海が見える。風が心地いい。

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今日も30℃を超える暑さだったとはいえ、湿気はほぼない。同じ気温30℃でも、本州と違って爽やか。いいこっちゃ。

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流木でいっぱいの浜辺は、日本海だけあってか波が高い。波の音が、癒し。ヒーリングミュージックで視聴可能な波の音よりも、もっとワイルドな響き。と思ったけど、『Rough Beach』くくりで聞くと、かなり似てた。

 

観光のトップシーズン入りしただけあって、人も車も多し。

 

富良野方面に向かうと、ラベンダーを見ようと押し寄せる人たちで“ラベンダー渋滞”ができ、積丹方面へ向かうと、ウニ丼を食べようと押し寄せる人たちで“ウニ丼渋滞”ができる。

 

北海道でひと夏に消費されるウニの総量は、一体いかほど???と謎に思うほど、ウニ食う人で賑わうのが、北国の夏。風物詩の一種やね。

 

北海道のいいところは渋滞知らずなところで、渋滞しそうもない場所こそ尊い思考。渋滞しそうもないところでノビノビ過ごすと、とことんリラックスできる。

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ハマヒルガオ

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(名も知らぬ花。釣り鐘型の花びらがかわいい。)

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お魚くわえたカラスが飛んでいった。海で獲ったのか、釣り人から失敬したのかは知らないけれど、ゴミを漁る都会のカラスより、いいもん食べてそ。

 

はまなすの丘公園にも寄り、はまなすの開花具合をチェック。先日来た時よりも、気持ちお花畑度がアップ。

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ピンクの可憐な花は、エゾカワラナデシコ

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こっちはハマボウフウ。先日、お浸しにしたものを食べたばかり。蕗に似た食感で、美味しかった。美味しいから乱獲されちゃったんだな。。不憫。

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水温は冷たいせいか、泳ぐ人よりも、釣り人やBBQを楽しむ人の方が目についた。単に、焼きに来ただけの人も居る模様。

 

昼寝するなら、ひと気のない場所の方が心休まるやね。テントさえあれば、マイスペースの出来上がり。

 

往復で300Kmほどのドライブは、天気にも恵まれたおかげで快適そのもの。どうせ3時ともなれば薄明るくなってくる北の国。早起きすればするほどいいことあり。大して早起きもしてないんだけど。

 

お休みなさーい。

ローマの休日生みの親は、癖のあり過ぎるオッサンだった『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』見た

30℃越えの暑さに負けて、今年初めて扇風機のお世話になる。エアコンのお世話にならなくても済むあたりが、北国仕様。夜になると、風も冷たい。

 

Amazonビデオで、たまりにたまったウォッチリストの消化活動に励む。つっても、そんなにサクサク進むわけないんだけどさ。内容に興味はあれど、映画館の大きなスクリーンで見るのは躊躇する、ひと癖もふた癖もあるオッサン映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』を見た。

 

特別カッコよくもないオッサンの、入浴シーンつき。

 

大きなスクリーンでは見たくないでしょ、そんなの。とはいえその入浴シーン、もうちょっと詳細に言えば、バスルームを書斎に変えて、寸暇も惜しんで脚本を書き続けたトランボを映した写真こそが、映画製作陣に大いなるインスピレーションを与えたのだとか。

 

第二次大戦が終わって間もなく、1947年のアメリカから物語は始まる。

 

赤狩り“によってハリウッドを追われた売れっ子の脚本家トランボが、再びハリウッドで活躍するまでを追った人間ドラマ。

 

資本主義の盟主かつ二大政党制のアメリカにも共産党があると聞くと、今でこそ違和感を抱くけれど、大恐慌ファシズムの台頭を経て、支持者を獲得。第二次大戦でソ連と同盟国になると支持者も増えたけれど、終戦を経てソ連との冷戦が始まると、事態は一変。国内の共産党支持者は反愛国的として、弾圧を受ける。という、時代背景。

 

ハリウッドで最もギャラの高い脚本家の一人であったトランボは、労働運動を経てアメリカ共産党(C.P.U.S.A)に戦前に入党。若い頃の情熱に忠実なまま、自身が生活に困ることはなくとも、同じ映画産業に属する待遇の悪い人のために動ける人。

 

才能に恵まれ、才能を生かして生活の糧を得ている人が、生活の糧を奪われても思想を曲げず、恵まれた才能を生かして再び世間に帰り咲く。

 

と言ってしまえば簡単なんだけど、帰り咲く場所は、ハリウッドという才能がひしめく場所。

 

オッサン。法廷侮辱罪という前科もち。おまけに有名無名を問わず、“愛国的”な多くの人を敵に回している。そこからどうやって、再び這い上がるのか。トランボという、異才・異能・傑物というキャラクターが、ただひたすら興味深い。

 

ローマの休日』のようなロマンチックラブストーリーを生み出す一方で、『ジョニーは戦争へ行った』のような、シリアスな小説も書く。

 

そして、生活のためにホラーやモンスターものといったB級映画も、書いて書きまくる。

 

多作かつ、執筆スピードも尋常でなく早く、生活のすべてを執筆にあて、家族も総動員するという“非常態勢”に耐え切った。普通の人にはできないことの、ことごとくをやってのけた。

 

だってこの人もともと、“普通”じゃないから。

 

ハリウッドという当時の映画産業の最先端で、最も高いギャラを取っていた、そもそも上から数えて何番目の人。その人を、寄ってたかって普通の人が叩き潰そうとしても、潰せるわけがない。

 

潰そうとした人の中には、ジョン・ウェインのような人気俳優や、ヘレン・ミレン演じる人気コラムニストが居たとしても、高潔さにまさるトランボが結局は勝つ。

 

歴代のアカデミー受賞作品のことごとくは、たいてい人の善性にスポットをあてている。

 

思想信条にとらわれず、勇気や高潔さ、逆境に負けないストーリーで観客を感動させてお金貰ってる産業の足元で、まったく真逆のことが行われていたら、観客だってソッポ向く。

 

同時代の才能あふれる人を潰して、損をするのは業界そのもの。だからトランボの才能を認めている人は、世間の評判がどうであれ、彼に手を差し伸べる。

 

この映画では、意外な作品の意外な誕生秘話が明らかになったり、意外な人物の、ある種想定内の人物像が垣間見られるところも見どころのひとつ。

 

例えば『ローマの休日』。

 

オードリー・ヘプバーンの鮮烈な美しさに惚れ込んで、彼女を世に出すために脚本家があの素晴らしい物語を書き上げました!な方がステキなのに、実はもっと世知辛くてドッロドロ。

 

それで作品の魅力が損なわれることもないから、作品と製作者の事情、あるいは思想信条は、まったく作品には影響しない。トランボの事情が広く知れ渡ることになろうとも、今さら『ローマの休日』にケチがつくこともない。

 

逆に想定内として描かれるのが、ジョン・ウェイン。西部劇でたくさんのヒーローを演じながらも、トランボに「戦時中はどこにいた?」と問われて激高する。ヒーローを演じるのが大好きな人が、現実には必ずしもヒーローではないことを皮肉っていて、こことっても好き。

 

“大衆のヒーロー”が、ある局面ではヒールとなるのとは真逆に、予想外の人物が、予想外の局面でファイティングスピリットを剥き出しにするシーンも好き。

 

トランボが“地下”に潜っても書き続けていることを察知した愛国者たち“アメリカの理想を守るための映画同盟”側は、どこまでも生活の糧を奪いにくる。だけど、知ったこっちゃないと反撃するのは、トランボに書く場所を与えたB級映画会社の社長さん。

 

俺は金と女のために仕事してんだ (セリフより引用)

 

というセリフの前には、理想は役立たず。同じ思想に染まった人と行動してると、世間の多様なモノサシが、見えなくなっちゃうんだね。。

 

後半は、役に立たない理想を掲げ、多様なモノサシを前に綻びを見せる“アメリカの理想を守るための映画同盟”側が逆襲されていく過程と、トランボの家庭の綻びを同時進行させながら進む。

 

反撃するための力を得たトランボが、徐々に表舞台に姿を現していき、トランボが脚本を書いた『スパルタクス』をケネディ大統領が「いい映画だね」と褒めたところで、暗い時代も終わる。時は1961年で、ハリウッドは十年以上の時間を無駄にした。

 

地下に潜ったはずの人間に、二度もオスカー獲られてるんだから、ナニやってたんだって話。

 

逆境に負けなかった傑物と、傑物を積極的に埋もれさせようとする人と、埋もれさせまいとする人を同時に描きながら、この映画がもっとも描きたかったのは、誰もが傷ついたこと。

 

上から数えて何番目かの才能に恵まれて、結局潰されずに生き残ったトランボさえ傷ついた。

 

地下に潜ったとはいえ稼ぎまくったから、財政的にも大きなダメージを受けなかったとはいえ、それは才に恵まれた彼だからのこと。

 

同じように思想信条を理由に赤狩りにあった、同時代の多くの人は、そうじゃない。そしてトランボたちの次に傷つくことになるのは、トランボたちを傷つけた側。

 

表面上は傷さえないように見える人でも、理想やきれいごとを口にするたびに、今後は決まりの悪い思いを抱くようになる。口から出る理想やきれいごとが、これからは単なるセリフでしかなくなってしまったら、虚しくてしょうがない。

 

互いに傷つけ合ったことさえオープンにし、生き残った人にさえ「傷ついた」と堂々と言わせる。負の遺産でさえエンタメに昇華するのが、ハリウッドのハリウッドたる所以か。

 

転んでもタダでは起きない、ほんとに恐ろしいところ。

 

自分たちを豊かにしてくれたものを、決して裏切らない。生き残るための知恵は、きっとそこにある。

 

王道でもなければ、覇道でも邪道でもない。彼、トランボにしか切り開けなかった道だから、ドラマにもなった道。安易な模倣は厳禁さ。面白かった。

 

 

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 ハリウッド映画の名作を残した脚本家の伝記小説

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 ハリウッド映画の名作を残した脚本家の伝記小説

 

 こっちは生い立ちなど、映画に描かれる以上にトランボその人に踏み込んでる。

 

お休みなさーい。

気候はライフスタイルと直結、『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』読んだ

温故知新という言葉が示す通り、古い事柄を調べることで、新しい知見が得られることもある。例えば、1万年以上にわたって通用した経験則が、これからはまったく通用しない可能性だってあることとか。

 

『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』は、過去10万年にわたるデータをもとに、気候の面から未来の姿を捉えようとしたもの。氷期と温暖化を繰り返すことで、地形や景観をも変えてきた、気候変動という暴れん坊について考察してる。

年稿により、気候についての研究が前に進んだ

データのもととなるのは、「年縞」。

 

福井県景勝地三方五湖のひとつである水月湖には、7万年に及ぶ堆積物が確認されていて、この分野での「世界標準時計」となっている、第一級の試料。

 

水月湖の泥に含まれた堆積物を調査・研究することで、過去の景観、水月湖周辺の景色を再現できるようになったところが、水月湖研究のハイライト。

 

植生景観のデータを気候に換算する技術は、最近の20年ほどで劇的に進歩した。水月湖は、この手法を日本で応用した最初の本格的な事例となった。(本文より引用)


 水月湖の堆積物が「世界標準時計」に採用されるまでには、いち研究者による地道な基礎研究への取組みかつドラマありで、『情熱大陸』に取り上げられていても、おかしくないほど。

 

地味で退屈な作業を地道にやり遂げることの偉大さがわかる人なら、このくだりをきっと面白く読めるはず。

 

時に研究者や研究そのものにもスポットをあてながら、本書の目的である気候面から未来を考えるヒントを提供するというテーマは、一貫している。

 

地球の温度は、極地の氷がなくなるほどに温暖になることはある。しかし、海の水が沸騰するほど極端な高温になることはない(本文より引用)


 と知ると、凍りつくことはあっても、海の水が沸騰するような灼熱地獄に包まれることはないと知って、とりあえずは安心する。ついでに温暖化には限度があり、過去何万年にわたって一度も起こらなかった、レアケースについて過剰に心配するのは科学的ではないとも知れる。

 

気候はライフスタイルに直結、気候変動はライフスタイルを変える

とはいうものの。極地の氷がなくなることは、それはそれで問題で、東京がフィリピンのマニラ並みの暑さになったら、諸々ライフスタイルの変更を迫られるように、気候変動はライフスタイルに直結している。

 

東京から沖縄、あるいは札幌へと旅行することを考えた時、多くの人はまず着るものに悩むはず。暑さ寒さは衣食住にまで影響し、着るものや食べるもの、住まいの形まで変えてしまう。

 

食べ物の北限・南限が変われば、農業や漁業に影響が出、主要産業の収量や在り方も変えることも想定内。

 

本書の第7章では、気候変動によって生活に影響を受けつつも、人類がどのようにやり過ごしてきたか、別の言い方をすれば適応してきたかが語られる。

 

現在は、人類史という長いモノサシで眺めた場合には、比較的おだやかで暮らしやすい、どちらかといえば穏やかな気候ではあるらしい。

 

過去を見れば、氷期氷期の間に温暖期が訪れ、いつ温暖化するのかについては未知数で、気まぐれ。

 

日本の氷期は今より10℃ほど寒かったと考えられているので、氷期には「鹿児島が札幌のようだった」と考えておけばおおむね間違っていない

(本文より引用)

20世紀の100年間で、東京は宮崎になった(本文より引用)

 

 と説明されれば、温暖化による数字のインパクトもイメージしやすい。東京が宮崎になるのに必要な温度上昇は約1℃。そして今後の100年間で、最大5℃の気温上昇を、多くの研究機関が予測している。

 

技術としての農耕が世界各地で発明された後も、少なくない人々が数千年にわたって狩猟採集生活を維持し、その一部は現代に至るまで近代化を拒否しているという事実にはおそらく意味がある(本文より引用)

 

今年と同じ来年には期待しない、安定を前提としない選択肢にも一定の意味があり、複数の選択肢がヒトの生存確率を高めることにもなっていた。

 

未知数と変数だらけの未来予測から、何を選ぶのか

長いモノサシで見た場合、現代は比較的安定した穏やかで温かい時代であるらしい。

 

なのに、同時に「未曽有の」や「経験したことのない」との冠付きで報道される、異常気象もお馴染みで、気候変動という暴れん坊が、暴れ出す直前なのかとも思う。

 

世界人口増や、増えた人口による経済活動により、本来訪れるはずの氷期の到来が遅くなっていると考える研究者もいて、地球相手の基礎研究には、簡単な出口はないとも知れる。

 

現代を未来から長いモノサシで振り返った時、気候変動という暴れん坊が暴れまわった後で訪れるのは、氷期か否か。今の段階では未知数という態度こそが、もっとも科学的。わからないことがわかるというのも、科学の一種。

 

1000年に一度の変事に1000年後も耐えられるよう対策を講じるのか、もっと短いスパンで起こり得る変事についての対策を優先させるのか。

 

未知数が多くて変数も多いのなら、「必ず起こり得る近未来の変化」から手をつけていくのが、現実的対応ってもの。

 

気候変動という、従来は長いモノサシでしか見れなかったものを、寿命100年程度のヒトの一生というタイムスケールに落とし込み、より身近に感じられるよう嚙み砕いた、親切な本。気候変動についていっちょかみするなら、この程度は知っておいた方がいいのかも。かもかも。

 

水月湖の堆積物が「世界標準時計」となるまでの、 科学者の奮闘によりスポットをあてた関連書が、こちらになるらしい。

 

時を刻む湖――7万枚の地層に挑んだ科学者たち (岩波科学ライブラリー)

時を刻む湖――7万枚の地層に挑んだ科学者たち (岩波科学ライブラリー)

 

 

お休みなさーい。

今年も花フェスタ開催中

今日から7月。一年もすでに半分が過ぎた。

 

ページをめくったカレンダーで最初にすることは、「燃えないゴミの日」をマークすること。これ大事、超大事。

 

寒さに我慢できず、暖房をつけた夜はついこの間のこと。なのに、なんだこの暑さはという勢いで気温、急上昇。今日は30℃いくらしい。ベルギービールウィークエンド関係者、大歓喜

 

と思ったら、突然の夕立。これもまた夏っぽい。

 

大通公園では、今年も花フェスタが開催中。

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同時に、花より団子イベントであるベルギービールウィークエンドも開催中。そっちはチラ見しただけだけど、変わったビール、例えばフルーツビールなどが各種揃っていて、お試しにはちょうど良さげ。

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(年々オシャレになるイベント会場。ここならゴロゴロできる。有料か否かは知らね)

会場で入手可能なベルギービールを解説した小冊子を読んでいると、どうしてこんなに蘊蓄と相性がいいんだ、お酒って奴は。という思いが込み上げてくる。知識で相手をぶん殴りたい系の人とも、きっと相性よし。奥が深い。

 

ちなみに丸井今井でも、日本酒マルシェという名の日本酒フェアをやっている。そっちは7/3(月)まで。お中元シーズンだからかな???お世話になった、あの人へ的な。

 

毎年楽しみにしている花フェスタだけど、今年は例年になく縮小気味。

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蘭フェスティバルの会場(というより展示場)は、地下歩行空間へと移動し、花フェスタ会場はずいぶんスッキリ。大通公園周辺からは、庭付き一戸建てが消滅しつつあり、マンションへの建て替えが進むなか、しょうがないっちゃしょうがない。

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(これも蘭、あれも蘭という変わり種。)

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古いマンションならいざ知らず、サンルーム付きマンションなんて今や珍しいけど、北国ではそれが正解なんだよな。。雪吹きすさぶ真冬は、戸外に洗濯物を干すわけもなし。そもそも日本海側だから、曇天も多くて陽光も期待できず。

 

何かと制約が多いにもかかわらず、だからなのか、植物は見るのも育てるのも好きな人が多い印象。

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蝶が飛ぶ花壇。

 

街づくりをするなら、蝶が飛んでくるような花壇を街に作りなさいと説く日高敏隆氏のエッセイをむかーしに読んだけれど、蝶と街づくりの因果関係は何だったのか。大事なポイントはすこーんと抜け落ちてる。

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花フェスタのおかげで、各花壇がフォトジェニックかつインスタジェニックに生まれ変わる。どれも凝っている。

 

園芸を学ぶ高校生達が作ったガーデンや、ハンギングバスケットを趣味とする人たちの作品を展示する会場もあり。

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(花ざかりの屋根。かわいい。)

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どうしたって見物する人が写りこむから、どの写真も接写で撮るしかない。

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(なぜか二宮金次郎がイメージされる、花しょった怪物的な何か) 

今の世の中、花と親しむといえば寄せ植えがもっともポピュラーかつお馴染みのスタイルだよね。という傾向が、よーくわかる展示品の数々。

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どうせならオシャレガーデニンググッズも売って欲しい。ステキプランターとか鉢とか。室内に飾ってもインテリアとして目の保養になるようなグッズ、密林という通販ジャングルの中から見つけるのは大変っす。

 

最初に変だと思ったのは、もう何年も前、下手したらそろそろ10年くらい経つかもしれない。何年何月何日と、はっきりとその日付を記憶しているわけではないけれど、その時に感じた違和感については記憶鮮明。

 

違和感だけはいつも鮮明だから、違和感とつながるサービスや、その界隈とはつながらない。アカウントさえ持ってないし、持つ予定もなし。

 

不幸は成功のエンジンにもなるけれど、不幸を糧に行動を起こす人と、テロリストとの見分けがつきにくいのも現代。他人の不幸につけ込む人は、どのみちロクなもんじゃなし。

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寒いのは着込めばなんとでもなるけれど、暑さは防ぎようがない。

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気候は温暖になったり凍り付いたりするけれど、いまだかつて海が沸騰するほど熱くなったことはない。という地理的条件が、生物繁栄の必要にして十分な条件だったのかも。かもかも。

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お休みなさーい。

海と川が交わる場所、はまなすの丘公園に行ってきた

気持ちよく晴れた空が戻ってきた。いいこっちゃ。

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さて、札幌の北の方にはジョイフルエーケー屯田店という、何でも揃うすてきホームセンターがありまして。時々買い出しに行く。そこから距離にして16~20㎞ほど先、石狩市方面に進むと、はまなすの丘公園がある。

 バラが見頃ならはまなすの花もそろそろ見頃かいなと、ちょっと前に偵察に行ってきた。

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はななすの丘公園は、日本海石狩川に挟まれた、砂嘴を公園にしたもの。同じ公園とはいえ、前田森林公園百合が原公園とはずいぶん趣が違って、もっとワイルド。

 

平日の昼間とはいえ、30台ほど駐車可能なさして広くもない駐車場は、そこそこ埋まってた。天気がいいと、考えることはみんな同じ。夏が短い北国だもの。紫外線と天秤にかけても、やっぱりお日様の下を取る。

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木道がいい感じ。はまなすの丘公園の目印ともいえる灯台は、工事中だった。

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木道がいい感じとはいえ、公園というよりフットパスかと思う景色。存分にテケテケ歩きたかったけど。。歩きたかったけど。。でも、お昼代わりのお握り🍙も食べたかったのに、どこにも手頃なベンチの姿は見えず。歩く人との距離が劇近な、靴ひも直すのに最適なベンチしか見当たらず。

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フューシャピンクのハマナスと、紫色のイソスミレが、ポチポチと咲いている。見頃は7月上旬か。

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木道がある場所には、植物保護区の看板が。木道を降りて歩いちゃダメ。

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向こうに見えるのは、石狩川。すでに灯台もヴィジターセンターも、遠くになりにけり。木道が終わったそこは、未舗装の砂利道。履いてきてよかった、フラットシューズ。砂利道をザクザク歩く。

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ザクザク歩いていると、えらく背の低いポプラ並木に出合う。そのそばには、待望の東屋、休憩所を発見。いい加減お腹も減ってきたので、ここで遅いお昼にする。

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途中にある佐藤水産サーモンファクトリーで仕入れてきたせっかくのジャンボおにぎり、休憩所が見つからなかったらどうしようかと思ったよ。

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地図。砂嘴を公園にしただけあって、細長い。

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日本海に通じるショートカット、もとい観察路)

砂嘴を横切り日本海をめざすか、日本海石狩川が交わる河口をめざすか。もの珍しいのは、やっぱり後者。河口めざして再びテケテケと歩き出す。

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湿原あり、砂丘ありというバラエティーに富んだ地形。ハマナスは、そもそも自生していたものか、それともなのか。

 

時々見え隠れするオレンジの花は、エゾスカシユリ。こいつは浜辺でよく見かける、ハマヒルガオ。海が近いんだね。

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雀でも鳩でもカラスでもない鳥。なんなんすかね。

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どこが道か、わからなくなりそうな時はこの旗をめざす。そろそろ河口が近い。

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右を見れば石狩川。左を見れば日本海しかし写真にすると地味なので、その場に立つ本人以外にはきっとその感慨(感動まではいかないよ)はわかるまい。

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アタシ、ホームセンターに行くついでに来ただけだったのに、こんなにちゃんとした海に出るとは、予想もしなかったワー。という意味で、二重三重に感慨深い。

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フラットシューズ、砂浜では役に立たず。歩きにくいったらありゃしない。歩を進めるごとに、ズボズボ埋まる。ハイカットのスニーカーでもないと、スタスタ歩けない。流木まであって、完全に海。

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ヴィジターセンターは、遠くはるかに向こう。帰りたい、でも帰る道がわからない。この砂浜を歩くしかないのか???

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人っこひとりいない砂浜を、無理くり歩く。200万都市札幌の中心部から、1時間もかかったかどうかでコレ。都市と自然が近すぎて、びっくりさ。

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なんでサーファーが居ないの???と思う、それなりに感じのいい波が立っている。オロロンラインをドライブした時もいい波立ちまくりで、ここが関東近郊ならサーファー大歓喜なところ。多分。
(注:石狩湾の海岸では離岸流が発生するらしいので、サーフィンや海水浴には不向きな場所なのかも)

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帰りたいのは、あそこ。近くて遠い。今地震が起きて津波が発生すれば、余裕で波に吞まれそうな距離。先人の足跡に勇気づけられる。よかった、ここを歩こうと思った馬鹿者、私だけじゃなくて。

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振り返れば、無国籍な景色が広がっている。

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ようやく観察路に戻る道発見。帰るべき場所は、あそこ。歩くべし。テケテケ。

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見知った場所に戻り、ひと安心。

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(木道から、日本海方面を臨む。)

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ヴィジターセンターで、はまなすソフトを食べる。ほんのりかすかに、はまなすの香りがする。

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次に来る時は、砂浜に強い靴を履いて、ハマボウフウの種を蒔きましょう。

 

都市と自然が近過ぎて、予想外のワイルドさにやや消耗。二回目ならきっと大丈夫。よい運動と、気分転換にもってこいの場所だった。よく知りもしない人と、わけもわからず拳ふり上げるなんて、まっぴらごめんさ。

 

お休みなさーい。

今シーズン初の甘露(かんろ)

「甘露」で画像検索すると、なぜか美女の画像がズラズラと。芸名でもあるのか、何なのか。甘露は瓜っぽい、北海道産のくだものさ。

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夕張メロンは贈答用で、自家用にすることはマレ。自分ちで食べるなら、富良野メロンやその他、似たような赤肉メロンで代用する。

 

網目のないメロン、マスクメロンのように、甘―い香りを振りまくわりに、果肉はそれほど甘くないところがミソ。さっぱりしてる。甘い食べ物に慣れた舌に、嬉しいさっぱり具合で初夏の味。

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(意味なくイラスト風に加工)

とはいうものの。最高気温15℃程度の寒さでは、初夏とはほど遠い寒さで、時季外れの暖房のお世話になる。今年は雨も多くて天候不順極まりない。

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短期的、例えばそれが10年に一度は必ず起こることならともかく。そうでない、もっと超長期で起こるかどうかの出来事は、教科書にするしかないとの一文に、深く納得した。

 

10年に一度、あるいはもっと短期で頻出する出来事なら、とっつきやすくて読みやすい読み物にして、広く知らしめる必要があるけれど、そうでないならそこまでする必要もなし。教科書という落としどころが、妥協点。

 

逆に言えば、とっつきやすくて読みやすい読み物となって、広く知れ渡っているものは、近未来に必ず起こり得ること。今だったら、人工知能や自動運転とか。

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わかっちゃいるけどさ。

 

「認知の歪み」を抱えているから、ホットな話題にがっつり食いついてく気にはイマイチなれず。死んでしまった人の本でも読んでる時が、いっちゃん心安らぐのさ。

 

死んでしまった会社、潰れた会社の話なら、同じく平常心で読める。もともとコラムとして連載されていたものだから、読みやすいのも当たり前。

 

事業は行き詰っても倒産にまでは至らない、今は無倒産時代なんだとか。そういや、年間倒産件数を報じるニュースの取り扱いも、かつてほど大きくはなくなった。

 

一方に、販路や優良取引先を持ち、長年事業を継続してきた看板を持つ企業があり、他方に資金力はあるけれど、信用もなければ販路も取引先も持たない新興企業があれば。看板と地盤(販路とか取引先とか)を引き継いで、新規スタートを切ることも難しくない。

 

会社の名前は昔のままで、相変わらず。でもその中身、扱ってる商品やあるいは社員の顔触れ、社風などがすっかり入れ替わっていたら、外部の力を借りて刷新したのかも。かもかも。

 

人が死ににくい時代は、企業も死ににくい。

 

寒さで気が散ってしょうがないので、どちらも飛ばし読み。夏というには肌寒さに勝り、かといって暖房でぬくぬくするわけにもいかない今頃の季節が、もっとも過ごしにくい。

 

喜んでスイカにかぶりつくような、暑さが待ち遠しい。

 

お休みなさーい。