クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

肩凝りと『箱舟の航海日誌』と

青空が広がり、足元の雪は消えつつあるとはいえ、気温はまだまだ低いので、油断ならねぇ。とはいえバンクーバーよりは暖かいようで、「勝った」と謎の優越感にひたる。

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つい最近オープンした新しい商業施設、シタッテサッポロ。通りかかったついでに、気分は内部視察でジロジロ見てきた。

 

駅前通りの富国生命ビルをリニューアルしたもので、場所は赤レンガテラスの目と鼻の先。飲食店のほかに、旅行代理店とドコモショップGショック専門店が入ってた。

 

丸美珈琲が入る一方で東京のお店も入る、ローカルなお店とそれ以外とのバランスもいい感じ。お茶するよりは、近隣のオフィスで働く人のためのランチや飲み需要に応えられそうなお店多し。そのうちどこかに入ってみよう。

 

丸美珈琲は、座席なしでスタンド売りの店舗。あら座席ないのね。。とガッカリしそうなところ、お店のすぐそばには階段を利用した寛ぎスペースが設けられていた。おっしゃれ―。きっとインスタ映えする。

 

京都駅の大階段、あるいはヨーロッパあたりにありそうな、噴水のまわりに広がる階段状となった広場がほのかに思い出される空間。

 

街中にまた、ダラダラと過ごせるスペースが出来て、よかったね。ダラダラと過ごせるスペースは、貴重だから。

 

ここしばらく悩まされていた肩凝り、マッサージのおかげで血流がよくなったせいか、久々に軽くなった。自然に治るかと思っていたら、ちっとも治らなくて、包丁持つのさえダルかった。軽くなってウキウキ。

 

冬季はどうしても運動不足になるから、血流も滞りがち。自然にまかせていてもどないもこないもならんので、自然まかせはもう止めにしよう。そうしよう。

 

ずっと積読だったウォーカーの『箱舟の航海日誌』もようやく読了。日本人にとっては馴染みがないけれど、イギリスでは知名度のある児童文学作品だとか。文章も平易な寓話っぽくて、イラストも多目。

 

とっても読みやすい短いお話なのに、それでも長らく積読だった。。“ノアの箱舟”をベースにした、多数の動物が登場するお話。トラや象といったお馴染みの動物のほか、フワコロ=ドンやナナジュナナ、スカブといった想像上の動物も登場。

 

「最終バスに乗り遅れるな」とばかりに、洪水前にノアの箱舟に乗り込んだ動物たちが、陸地を見つけて船を降りるまでの出来事をつづっただけのもの。

 

元は児童文学だから、難解かつ高尚な言い回しなしで、仲良く平和に暮らしていた動物たちの暮らしが変わりゆくさまを描いてる。

 

仲良く平和な暮らしを脅かすのは、いつだってどこだって“流言飛語”。

 

招かれざる客スカブがこっそり船に忍び込み、相互不信の種を植えつけていく。スカブがなぜ招かれざる客なのかというと、スカブのみがタブーとされていた肉食を覚えた動物だから。

 

洪水以前の社会では、果物や草が動物や鳥たちの主たる食べ物だった。最初は仲良しの小型動物と大型動物の関係に亀裂が入って行くさまは、『ズートピア』も思い出させる。

 

ズートピア』では副市長のメリーさん、草食動物が黒幕だったけれど、『箱舟の航海日誌』の黒幕は、スカブ。かつてタブーを犯した、得体の知れない、流言飛語が大好きで不和や諍いが好きで、小動物に対して尊大な、イヤーな感じの獣。

 

人間社会でも、世間に不和をまき散らすタイプの造形と、さほど違いはなかろうと思わせる。寓話っぽい単純なお話ながら、最後には後味の悪さが残る趣向で、それが教訓にもなっている。

 

得体の知れない生き物による、“流言飛語”に耳を貸すな。世間の人の目に触れる場所に“流言飛語”をデカデカと掲げるな。

 

多分、それだけで相互不信はかなり防げるはず。現代では人ならぬもの、BOTやAIまで流言飛語市場に参入してきてるうえに”市場”になってるから、さらに油断ならねぇ。

 

イラストも可愛らしいけど、可愛らしい小動物から流言飛語の餌食になって消えていくんだな。第一次世界大戦が終わって間もなくの頃、戦禍がまた繰り返されるかもという時代に書かれたもの。不和や諍いが好物で、再戦を望む戦いたがりは、こんな時にこそ生まれやすい。くわばらくわばら。

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人間には種を持ち実をつけるものが、動物には草が食べ物として与えられたんだってさ、創世記によると。いまさら創世記でもなし。肉食をタブーとするのは、世界が作られた昔に帰りたい、原理主義のなせるわざなのかも。かもかも。

お休みなさーい。

ティア・レオーニがとってもカワイイ『天使のくれた時間』見た

原題は『The Family Man』なのに、どうして邦題はこうなった???ロマンチックコメディ、あるいはロマンス映画らしいっちゃらしいんだけど。

ティア・レオーニがかわいい

ニコラス・ケイジティア・レオーニが、破局したカップルかつ仲睦まじい夫婦役を演じてる。ティア・レオーニが、とにかくかわいい!かわいい!とびっきりキュート!!!

 

2000年公開の映画だから、ファッションその他に時代が出てる。古っと思うところも時々あれど、ティア・レオーニのかわいさで許してしまう。

 

「もう一度人生をやり直す」チャンスを与えられたら、一体どんな未来を選ぶのか。

 破局したはずの二人が仲睦まじい夫婦となってしまうのは、ちょっとした運命のイタズラで、イタズラに他人の人生を翻弄するのは黒人かつブルカラーっぽい青年。

 

ウォール街の高級ペントハウスに住むジャックは、成功した金融マン。バークレー銀行勤務の時に、ロンドン赴任というチャンスを得て、ついには経営者にまでなった人。

 

ジャックの人生の転機はロンドン赴任で、その際に「お互いの未来のため」と、ロースクールに進学するケイトと涙・涙のお別れをした。

 

それから13年。成功を手に入れたジャックは、やり手の経営者となってクリスマスも仕事漬け。いまだ独身のセフレ持ち。家族持ちの社員たちから、クリスマスまで仕事なんて……と文句言われながらも、ハードワークにまい進中。

 

とはいえやっぱり独り身には寂しいクリスマスイブの夜。ジャックは、コンビニで銃を振り回して強盗まがいの騒ぎを起こす黒人青年と知り合い、この青年から奇妙な贈り物をもらう。

 

するとあら不思議。翌朝、クリスマスの朝に見知らぬ家で目が覚めたジャックの隣には、大昔に別れたはずのケイトの姿があって、ジャック大パニック。一夜にして娘と息子、二児の父親となったジャックは、自身のゴージャスペントハウスとは似ても似つかぬ生活臭あふれる、郊外の一軒家で暮らし始める。

 

転生するジャック

やり手の金融マンとしてNYでゴージャスに暮らしてるはずのジャックが、ケイトと夫婦となった“こっち“の世界では、タイヤ会社で働くどこにでもいるフツーのオジサンに転生。

 

どうしてこうなった???と納得いかないながらも、母となったケイトは相変わらずキュートでかわいい。

 

どこにでもいるフツーのおじさんに転生したジャックだけど、中身は最近まで金融の最前線にいた、やり手。当然だけど、アットホームな職場もアットホームで地に足ついた生活にも違和感ありまくり。

 

かわいい妻と子ども、友人に恵まれたアットホームな地域社会に生きるのか、それとも転生前の成功したビジネスマンとして生きるのか。

 

仕事漬け人間が、家族愛や隣人愛に突如目覚めて生まれ変われるものなのか。転生前の記憶も濃厚なまま、異世界あるいは別世界に飛ばされたところで、生き方は早々変わりゃしない。

 

ケイト目線では突然目覚めちゃったジャックは、転生前の生活をケイトとともに歩もうとする勝手な夫。でもさ、ケイトにだって言い分はあるのよ。。というところでまた舞台は反転。

 

あんたは絶対に天使なんかじゃねぇという黒人青年が、気まぐれに時空を歪ませる。

 

『素晴らしき哉、人生』のオマージュ作品

転生後の世界でもそうありたいと願った、元の成功者としての生活に戻ったジャックだけど、そこにはケイトも子どもたちもいない。

 

元々アメリカでは毎年年末にテレビ放送されたという、古典的名作『素晴らしき哉、人生』をオマージュになっているのが『天使のくれた時間』。ついでにウィル・スミスバージョンのリメイク作『素晴らしきかな、人生』も公開中だったね、札幌では。

 

選ばなかったもうひとつの世界の素晴らしさを知った後でも、なお「その生活イラネ」と言えるものか。

 

元の世界ではケイトにはケイトの生活があり、今度はジャックがケイトを「行かないで」と引き留める番。ケイトがジャックを引き留めるところは涙・涙でロマンチックなんだけど、ジャックがケイトを引き留めるシーンは、かなりこっぱずかしい。直視できない。なぜだ???

 

一度は身勝手に恋人を捨てた男、転生という、ケイトが知るはずもない個人的経験を、だから俺たち一緒に居るべきだと押し付けてくるからきまり悪いのか。

 

事情を知らないケイトを、熱情で押して押して押しまくるからきまり悪い。もっとスマートなやり方があるやろう。。というのは傍観者の声で、生々しい記憶につき動かされてるジャックには、自身のカッコ悪さを自覚する余裕もない。

 

あの人が、こんなカッコ悪いことするの???というギャップは、事情を知らないケイトを動かすのにじゅうぶんで、最後はたいへんロマンチックなところに落ち着いてくれる。

 

ロマンチックだけど、ロマンスが生まれるのはこれから。いきなり子持ちになることも、生活に追われることもなし。すべてはこれから。

 

ジャックとケイトと二人にとってのベストを、これから話し合って決めていくんだねという、転生後の世界に縛られないラストを用意してるところが、いい。

 

あんたは絶対に天使じゃないからな!という、他人の人生に勝手に介入して翻弄する、あの青年が用意した未来予想図通りじゃなくてもいいのさ、きっと。

 

他人の人生に勝手に介入して翻弄する、あんたは絶対に天使なんかじゃないから、そこは何度でも強調しておきたい。『素晴らしき哉、人生』のクラレンスは天使っぽいけど、あんたは絶対に違う。

 

家族愛や隣人愛とともに、地域社会で生きろと示唆する青年が、どう考えても家族や隣人とも地域社会とも没交渉っぽいってどうゆうことさ?産めよ増やせよという示唆を、マルチの勧誘っぽく受け止めてしまうのは、マルチやカルトっぽい人たちとの邂逅で迷惑こうむったゆえに歪んだ、あるいはうがった見方をするようになったから。

 

なぜ他人の人生に勝手に介入して翻弄するのが、黒人ブルカラー青年という設定なのか。介入されたジャックは成功した金融マンで、ケイトはロースクール出身の弁護士なんですけど?その辺の寓意あるいは含意まで勝手に想像の翼が大きく広がる作品だった。

 

ティア・レオーニがとにかくかわいくて、それだけで見る価値あり。かわいいかどうかは各自で確かめればいいから、画像はなし。

 

お休みなさーい。

『グランド・イリュージョン』と豆のポタージュと

花粉飛び交う関東の陽気か、3月とはいえ小雪が舞う北の国か。羨むべきはいったいどちらか、花粉も雪もカンケーない南国にでも高飛びしたい。

 

舞い散る小雪のせいで、外出意欲はすみやかに減退。99%捨てるものしかないクローゼット整理は遅々として進まず、引っ越し以来封印されていた段ボールをひとつ開けたところでうっちゃり。

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(これは気分転換で作った、豆のポタージュ)

こういう気分の時はB級映画さ、と『グランド・イルージョン』を見る。

 世紀のマジシャン4人組が主人公の、劇場型犯罪おバカ系。ショー要素が満載で、頭使わずに楽しめる。劇場型犯罪とはいえ、根底にあるのはマジックへの「愛」だから、爽快とか、痛快とかスカッとするという単語がよく似合う。

 

マジックショーの最中に、遠くパリの金庫から消えた札束の行方を筆頭に、衆人環視の中で繰り返される劇場型犯罪。翻弄される警察と、警察をあざ笑うかのように犯行を重ねるマジシャン集団フォースメンの対決が、ルパン三世スペシャル版っぽいストーリー。

 

実はフォースメンも姿の見えない黒幕の指示で動いていて、彼らを陰で操る人物は一体誰???というのも重要なポイントで、観客を飽きさせない盛りだくさんの趣向がかえって目まぐるしすぎて、途中で飽きてしまった。これは個人の感想です。

 

アトラクションいっぱいのテーマパークに行ったところで疲れしか感じない。池でボートくらいのアドベンチャーでいいやと思う人間にとって、頭使わないアドベンチャーは、やっぱり退屈の方が勝ってしまう。

 

マジックショーは、映画で見るよりラスベガスかどこかのショーで実際に見た方が面白そう。

 

マジシャンの人、かつてはテレビでもよく見かけたものだけど、近頃さっぱり見掛けないのは、ショーに出た方が稼げるからか。ファンでもない人に難癖つけられる可能性のあるテレビよりも、イルージョンに素直に感心してくれるファンがいるショーの方が、そりゃいいやね。

 

マジックの種明かし、手の内もところどころ明かしつつ、映画は進むよフィナーレに向けて。難癖つけて、愛のあるマジック、イルージョンの世界をぶち壊す無粋な者への抗議と制裁もしっかり織り込みながら。

 

娯楽大作は、映画館の大きなスクリーンで見た方が、魅了されやすくイルージョンの世界にも浸りやすい。もひとつノレないという感想になったのは、手のひら視聴という環境も大いに関係あり。

 

原題の『Now You See Me』というタイトルがカッコいい。

 

ハデハデ~なマジックショーは、ライブでこそ見たくなる。例年2~3月は、もっとも映画館から足が遠のく季節。春よ来い。

 

お休みなさーい。

 

ケイシー・アフレックがオスカーを獲ったので『セインツ-約束の果て-』見た

ケイシー・アフレックが、アカデミー主演男優賞受賞\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

 

お兄さんのベン・アフレックに比べると、日本人的には地味な印象のケイシー・アフレック。派手派手な作品よりも、じっくりと腰を落ち着けて鑑賞するような人間ドラマの方が、彼の持ち味が出るのかも。かもかも。

 

『セインツ-約束の果て-』も、地味な人間ドラマ。銃をぶっ放すシーン多目で出血多量ではあっても地味。

セインツ ―約束の果て―  Blu-ray

セインツ ―約束の果て― Blu-ray

 

 (Amazonビデオ入りしてた)

映画公式サイトによると「もうひとつのボニー&クライド」とのキャッチコピーで紹介されているこの作品では、ケイシーが『キャロル』のルーニー・マーラと、離れ離れになっても求め合う夫婦役を演じてる。

キャロル(字幕版)
 

 ボニー&クライドは、映画史に残るラストシーンで有名な『俺たちに明日はない』のならず者カップルで、クライドを演じたのは、ウォーレン・ビューティ(あるいはベイティ)。

 アカデミー作品賞を『ラ・ラ・ランド』と間違って発表し、ぬか喜びをさせるという世紀の珍事を演じたプレゼンターその人。耄碌したとみせかけて、実は確信犯だったとしても驚かない。どこまで本気かわからない、悪ふざけが似合う人。迷惑だけど。

 

さて『セインツ-約束の果て-』は、ケイシー・アフレック演じるボブとルーニー・マーラ演じるルースの、痴話げんかシーンから始まる。

 

互いの他には何も持たないならず者同志、強盗などのイリーガルな仕事で生計を立ててきた二人だから、その結びつきはめっちゃ強い。

 

ルースの妊娠をきっかけに、「これで最後」と足を洗うつもりで挑んだ仕事でヘマをして、ボブは仲間を失い、牢獄へと送られる。一方のルースは女の子を出産し、ならず者から“よき母親”へとジョブチェンジに成功してる。

 

ルースの環境には変化が訪れたけど、牢獄のボブは、ルースと一緒だった時の“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのまま。ルースとまだ見ぬ娘への愛情を生きるよすがに、検閲を受けながら手紙を書き続けてる。

 

牢獄という閉鎖環境で自分を見失わないよう手紙を書き続ける静かな姿も、強盗上等のならず者という姿のどちらも板についているのが、ボブ。粗暴さと紳士な面をあわせ持つ二面性ある人物をつなぐのは、ルースへの深い愛情で、そこには違和感もなし。

 

誰かを深く愛している人は、その人のためなら冷酷非道にだってなれるから。

 

家族恋しさに脱獄したボブは、ルースと娘の元へと戻ろうとするけれど、その前に立ち塞がる男性がふたり。

 

ボブとルースの育ての親とも言えるスケリットと、保安官のパトリック。パトリックは、ボブが牢獄へ入ることとなった事件で、ボブに撃たれた人物。事件関係者であるルースを見守るうちに、ルースに好意を抱くようになった人。

 

ボブは家族を取り戻そうとするけれど、家族を失った男スケリットは、ルースとその娘を疑似家族として大切にしていて、ボブがルースの元に戻ることを許さない。ついでにボブがスケリットたちから、悪事で稼いだ金をかすめ取っていたことも許さない。

 

何としてでもルースの元に戻り、新天地でやり直そうとするボブを、徹底的に妨害する。

 

ボブはルースに会えるのか。パトリックの好意を承知しているルースは、ボブを待ち続けることができるのかが、見どころ。とはいえ正直メリハリに乏しくて、ハラハラドキドキ感には欠ける。

 

1970年代のテキサスという荒涼とした土地には、手に汗に握る展開よりも、地を這うように暗-い描写の方がよく似合ってる。

 

再び会える日まで、届くかどうかもわからないまま、ボブは手紙を書き続ける。手紙が来なくなる日が、二人の再会の時となるのか。

 

“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのままで突っ走るボブには、「生きてこそ」という視点が欠けている。「生きてこそ」という視点が欠けているから、無茶ばっかりする。

 

一方母となったルースには、娘という未来につながるものがあるから、刹那や破滅に向かって無茶することはない。

 

互いに求め合う気持ちに変わりはなくとも、歳月は特にルースを大きく変えた。

 

刹那や破滅に向かってともに手を取り突っ走れるのは、人生の中でほんの一瞬。ほんの一瞬訪れた、“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのままで突っ走ったボブは、ある意味幸福なままだったのかも。

 

ケイシー・アフレック、シリアスな顔になるとベン・アフレックの面影が強くにじみ出てくる。彼の方が優し気ではあるんだけど。

 

ゴーン・ベイビー・ゴーン』もそうだけど、シリアスな役柄を演じることが多い気がするケイシー。地味な役をきっちり演じ切ってきた成果が、オスカーなのかも。

 とにかくめでたい\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

 

お休みなさーい。

デジタルといえど儚し

ジェニー・ガースと検索したら、シャナン・ドハーティとサジェッションされた。グーグルさん、いい仕事し過ぎ。

 

ついでにサンタナ・ロペスことナヤ・リヴェラと検索したら、ブリトニーことヘザー・モリスがサジェッションされるのかと思いきや、グーグルさんのおすすめは、リア・ミシェル。確執がある(と言われている)取り合わせをサジェッションしてくるなんて、グーグル、やっぱり邪悪やん。

 

ついでに日本語だと、シャナンは悪口言われまくりのゴシップが目立ち、ジェニーの方はそうでもなく優等生扱い。英語だと、両者とも本人のインスタやtwitterが上位にくる。

 

ビバヒルのケリーことジェニー・ガースのインスタを見ると、現在も幸せそうでひと安心。真実はどうあれ、ジェニー本人が見せたいと思ってる世界観で、ファンは満足さ。シャナンはシャナンで、いいことばかりでもない彼女の世界を率直にリリースしていて、そこがまたシャナンらしくていい。

 

大昔の邦画ならいざ知らず、今も昔も映画やドラマは海外志向。日本の芸能界にはびたいち興味ナシで、名前と顔が一致しないケースも多し。テレビ、特にCMになると、「この人誰?」を連発してる。ハリウッドやその他、海外進出した時にだけオッと思う程度。それ以外は超超有名人以外知らない。

 

ほぼ自分の興味あるフィールドにしか関心を持たないと、こういう風になる。

 

ニュースアプリのスマートニュースは、サイゾーが最も読まれているサイト。そのせいか、デフォルトの設定では芸能ニュースが多い。だから、芸能ニュースが極力目に入らないよう編集してる。サイゾーが最も読まれてるニュースアプリだからな、ここは。という認識で、他に読むものはないのか物足りないと思った頃に、新しいサイトが逐次投入されるという、ステキ設計。

 

欠乏感と充足感と、その繰り返し。

 

ずいぶん前に観たドキュメンタリー映画、そろそろ動画になってるだろうと思ったら「コンテンツ提供者との契約により、現在提供しておりません」とのつれないアナウンス。

 

例えデジタルデータとなっても需要が少ないものは、儚いものよ。

 

一度観てるからいいんだけどさ。そもそも需要が少ないものは、公開時に観ておくのがもっとも確実。見逃したらもう当分は見られない。

 

もういまさら好みは変えられないし、変わらない。好みのものの供給方法、一見選択肢が広がったようでそうでもないみたいなので、供給に合わせて需要、視聴する方も防衛策を考える。

 

お休みなさーい。

安全安心

お金の匂いがしない場所で、いつまでたってもカネカネカネと唱えてる人には、いったいどんな理由があるのか。お金の匂いがする場所にはいけない、何らかの理由があると考えるのが普通。

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“ネット、楽して金儲け、お手軽“なんてワードで、検索したこともない。虚業に頼るよりも、実業の世界の方が安定して収入が得られることくらい、よーく知ってる。ついでに、今やネットは楽してお金儲けができる場所なんかではないことも、よーくわかってる。

 

だから、お金の匂いがしない場所に最後まで残り続けるのは、結局はお金カンケーなしな人が残るはず。なんだけど。。どうなりますことやら。

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消去法で、ブログは自分のために書く、ただ書くことや記録を残すことが好きな人しか残らない場所になるはずでもあるんだけど、そのあたりもビミョー。書く場所を借りている、レンタルブログという性質上、無くなるのなら別のどこかに移るだけ。

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土地が有り余っているど田舎ならいざ知らず。安全や安心と引き換えに、お金払ってスペースを使うことに、何の疑問も抱いてないから有料プランにしてる。安全性がいや増してるのかどうかは知らね。

 

ありとあらゆる手段でイヤガラセしたい人が、一人なのか多数なのか。しつこく湧いてきてうんざりする。ありとあらゆるSNSがクリーンになるなか、誰にでもわかる形で表立ってのイヤガラセはできないから、その手法はより陰湿になるだけ。あほくさ。

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雪のない季節はどうってことのないありふれた景色だけど、雪が降ると途端にフォトジェニックになるのが、支笏湖周辺。雪が残ってる間にもう一度くらい行きたいと思っていたけれど、思うように予約が取れなくて、結局今シーズンは再訪がかなわず。

 

新千歳空港にも近くて、おもに中国人向けの別荘地として開発されたとかなんとか言われてる場所にも近いのかも。ニセコはきっとアジア人、特に中国人が進出するには、もう遅すぎるから、そこよりも不便かつ未開発な場所なら、さもありなんと思ってしまう。

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札幌近郊はそこそこインフラも整っていて、かつ少子高齢化が絶賛進行中だから、外国人が増えても不思議じゃないところ。適度にインフラも老朽化しているから、最新のテクノロジーを試す場所としても向いている。パトロン、資金提供者さえ見つかれば。

 

実験、すればいいじゃんと思うけれど、過疎ってるエリアは概して保守的だから、「ふれあい」とか「思いやり」という文脈から外れたハードランディングは、うまくいきっこない。

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あなたは被験者、あるいは実験動物です、大いなる指示者に従ってくださいと強制されたところで、そんなの知るかとそっぽ向くだけさ。

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繋がらなくてもいい人と繋がるようになったネットで、何度振りほどいても距離を詰めてくる人は、圧倒的に仲間が少ない人。口汚い人は好きじゃないし、他人を道具扱いする人も、好きなものについて語らず嫌いなもののことしか語らない人も好きじゃない。

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インターネットは、好きなものについて語っていたら好きなものが寄ってくる場所らしいけど、友人・知人を増やすために、好きなものについて語ってるわけじゃない。好きなものについて語ることが好きだから、時々馬鹿げた長文書くだけ。

 

好きなものについて話すよりも、好きなものについて書かれたものを読む方が、圧倒的に楽しいだけ。

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公序良俗に反せず、好きなことについて書くためのスペースとして、この場所は使っていくだけさ。

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お休みなさーい。

レモンティーケーキと『八十日間世界一周』と蜂蜜と

レモンティーのティーバッグで作ったから、レモンティーケーキ。

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15㎝スクエア型のケーキに、ティーバッグ4パック+αを使ってる。それでもレシピの半分で、紅茶使用量は控えめ。飲み物はコーヒーを合わせるべきか紅茶を合わせるべきか。どっちでもいいんだけどさ。

 

「今日すべし」と予定していた事柄をサクサクと消化し、非常に満足した気分で迎えた夕方に、大惨事発生。キッチンの床に大量の蜂蜜がこぼれだし、床がねちょねちょに。蜂蜜の妖精の怒りでもかったかな?という勢いで、ねちょねちょネットリ。

 

蜂蜜好きなもので、買い置きしていたのは2キロはあるかという大量の蜂蜜。その過半が流れ出し、拭っても拭いてもねちょねちょ。最後はお風呂掃除用のバスマジックリン(スプレー式洗剤が、それしかなかった)の助けを借りて、どうにかした。化学合成洗剤、スバラシイ。

 

家に籠っている時、以前はラジオをよく聴いていたけれど、近頃は録画した紀行番組を環境用BGMがわりに流してる。音声はごく控えめ。人生で一度は経験したかった白夜を経験してからは、世界のどこに対しても表面的な興味しか持てなくて、紀行番組を見ながらどうしても見たい・行きたくなる景色を探してる。

 

どうしても見たくなるような景色はたいていアドベンチャー系で、険しい山の中だったり、現地の人でさえ足を踏み入れるのが難しそうな秘境系だったりで、ちょいと行ってきましょうかな景色は、なかなか見つからない。

 

文字情報も映像も溢れてるから、何を見ても「どこかで見たよう」な気になってばっかり。知らない街のことこそ知りたいと思ったとき、思い出したのが『八十日間世界一周』。ジュール・ベルヌが、1872年に発表したユーモア小説。

八十日間世界一周(上) (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周(上) (光文社古典新訳文庫)

 

 

八十日間世界一周(下) (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周(下) (光文社古典新訳文庫)

 

 日本では明治がはじまったばかりの頃。「世界一周は80日間で可能」なことを、証明するためだけに世界旅行に挑戦する、イギリス紳士のお話。イギリス紳士の原型イメージは、『八十日間世界一周』とネビル・シュートの『パイド・パイパー』から出来上がってる。

 

寡黙で、名誉と信義を重んじる。いつも背筋をしゃんと伸ばし、愚痴っぽいことは決して口にしない。そんなイメージ。本物のイギリス紳士なんて一人も知らないし、本物のイギリス紳士じゃない人は、泣き言言いたい時には、グチグチ愚痴っても一向に構やしない。

 

寡黙なイギリス人紳士フォッグ氏と旅するのは、陽気なフランス人下僕パスパルトゥーで、正反対なふたりによるバディものとしての楽しさもある。

 

折悪く起こった銀行強盗と勘違いされ、フォッグ氏を逮捕しようとつきまとう、フィックス刑事も交えての世界一周の旅。その当時の人から見たエキゾチックな街の景色や風習、旅の苦労や当時最新あるいは現地ならでは旅の乗り物も追体験できて、すごーく趣向の変わった旅番組でも見てるような気になった。

 

世界のどこに行ってもスタバやマクドナルドがある現在からすると、エキゾチックさ満点で、そこでしか経験できなさそうなイベントにあふれてるから行ってみたさも湧いてくる。

 

日本人どころかアジア系でさえひとりもおらず、それでいて身の危険は感じなかった外国の地下鉄が精一杯で、そもそもアドベンチャーにまったく向いてないんだけどさ。

 

どんなトラブルに直面しても、フォッグ氏はすべてお金の力で解決しようとする。言い換えれば、お金さえあれば思想信条を問わず、外国人だろうと何とかなる世界を旅してるってことで、現代に比べて国境のハードルは飛び切り低い。セレブであっても入国禁止を食らうこともある、現代の方が国境のハードルは高いかも。かもかも。

 

世界旅行する人、西洋から東洋への個人旅行がとびきりマイノリティーだった時代だからこその読み物で、日本も登場。ところどころ間違ってるけれど。

 

イザベラ・バードが『日本奥地紀行』のもととなる、日本旅行をするより前に書かれた『八十日間世界一周』で、ジュール・ベルヌが日本を描くのに参考にしたのはやっぱりアーネスト・サトウあたりになるのか。

 

イトウの恋 (講談社文庫)

イトウの恋 (講談社文庫)

 

 

  ジュール・ベルヌ自身の体験をもとにしたというよりは、資料を読み込んで書かれたもの。資料が豊富だったと思われるエリアの描写は細かくて、そうでない場所はそれなりなところにも、当時の世界観が垣間見える。

 

子ども向けの読みもので出逢ったのが最初だけど、大人向けになると脚注による補足事項も豊富で、間違いは間違いとして正してあるところがいい。現在価値に換算すると、本当に馬鹿げた大金を投じていて、呆れ返れる。酔狂な賭けに本気で挑む、暇もお金も持て余した人のべらぼうさは、大人になった今の方がよくわかる。

 

暇もお金も持て余した人が賭けに夢中になるのは、今も昔も大して変わらない。大博打に成功したら、また法外なお金が転がり込んできて、またまた退屈な日々に戻りそうなところ、そうではないラストを持ってきてるところもいい。

 

冒険のあとに日常に戻ること。指輪物語でもひとつのテーマだったけれど、古今東西を問わないテーマで、それだけ成し難いんだな、きっと。

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お休みなさーい。